笈川館跡 |
訪問年月日 |
2006年5月3日 |
別称 |
− |
所在地 |
福島県河沼郡湯川村大字笈川字館 |
創築者 |
? |
主要城主 |
栗村氏 |
築城年 |
? |
廃城年 |
天正12年(1584) |
様式 |
平城 |
構成 |
本丸・二ノ丸・三ノ丸 |
遺構 |
郭・土塁・空堀 |
設置・復原物 |
− |
文化財指定 |
− |
■ 沿革
永禄年間(1558〜70)から天正年間(1573〜91)頃にかけて、蘆名氏の家臣である栗村下総某が居住したとされる。
栗村下総は岩瀬郡長沼城の新国氏の流れを組んでいるが、天正12年(1584)に大沼郡船岡館守である松本太郎行輔と共に蘆名氏に対して謀反を起こして黒川城に侵攻し、笠ノ目館主である赤塚藤内定景に討たれた。その後笈川城は廃城となった。
■ 構成
本丸の規模は東西130m×南北162mであり、四方を土塁を築いて幅約7mの空堀で囲んでいた。
西南端に大手口を設け、二ノ丸とは土橋で繋がっていたと思われる。
二ノ丸は本丸の西側・南側を覆うように位置し、規模は東西36m×南北18mで、本丸同様に土塁で囲まれていた。
三ノ丸は本丸・二ノ丸の北側に位置し、東西55m×南北43mで、こちらも土塁と空掘で守られていた。
本丸の東側には東西10m×南北40mの帯郭が設けられていた。
城域の西側から南側にかけてはせせなぎ川が流れており、自然の外堀の役目を担っていた。
■ 現況
現在本丸の大部分は笈川小学校・笈川幼稚園・笈川農協の敷地となっており土塁の一部が残存している。二ノ丸・三ノ丸は水田や畑となってほとんど遺構は残っていない。
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■ 南西側土塁跡
手前の側溝付近は空堀跡であろうか。 |
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■ 南西側空堀跡
他の部分に比べ若干幅が広くなっている。 |
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