おおえだじょう
大枝城
大枝城 石碑  訪問年月日  2009年9月20日
 別称  袖ヶ崎城・大條城
 所在地  福島県伊達市梁川町東大枝字館
 創築者  大枝孫三郎宗行
 主要城主  大枝氏
 築城年  応永年間(1394〜1427)
 廃城年  −
 様式  山城
 構成  本丸・二ノ丸・三ノ丸
 遺構  土塁・空堀
 設置・復原物  石碑
 文化財指定  −
 ■ 沿革
大枝城は伊達氏一門である大枝氏の居城である。
応永年間(1394〜1427)、伊達氏8世宗遠の子であり、9世政宗の弟に当たる伊達孫三郎宗行が大枝城を築いた。その後、宗行は大枝氏(後に大條氏)を名乗り、大枝氏は伊達氏の一門として活躍することになる。

−大枝氏のその後−
大枝氏は宗行の以降、宗景・宗澄・宗助・宗家・宗直と6代に渡って続いた。
天正19年(1591)、豊臣秀吉の奥羽仕置において伊達氏が岩出山に転封となると、大枝宗直はこれに従い、志田郡大倉城へと移っている。それに伴い、大枝城は廃城となった。
元和元年(1616)には大枝宗綱が2,000石で亘理郡坂元城を拝領し、途中4,000石まで加増され明治維新に至っている。

−松川合戦−
慶長5年(1600)、松川合戦において、伊達勢は上杉氏の梁川城を攻撃するため、阿武隈川を挟んで対岸に位置する大枝城に片倉景綱を入城させている。
しかし、結果的に伊達氏はこの戦いに敗れたため、悲願である旧領回復は果たせなかった。


 ■ 構成
大枝城は、本丸・二ノ丸・三ノ丸で構成されている。
本丸は南端の最頂部に位置し、北側に二ノ丸、さらにその北東側に三ノ丸が位置している。
本丸・二ノ丸の北東側は大規模な空堀と土塁で、北側は空堀によって区切られていた。


 ■ 現況
現在、城域の大部分は果樹園となっており、本丸には竜神が祀られ石碑が建てられ、整備されている。
また、本丸北東側の空堀と土塁は比較的良好に残る。

■ 三ノ丸跡
現在は果樹園となっている。
■ 二ノ丸跡
標識が設けられている。
三ノ丸同様、現在は果樹園となっている。
■ 本丸虎口
土塁が設けられ、門が設けられていた形跡が残る。
■ 本丸虎口
北側に向けての眺望が良好であり、門脇の位置も鑑みて櫓など物見的な施設が建てられていた可能性がある。
■ 本丸北東側堀跡
幅10m前後の大規模な堀跡である。
■ 本丸北東側堀跡
堀底より望む。南側に向けて腰郭へと変化しているようだ。
■ 本丸北側切岸
3m程度の高さがある。
■ 本丸跡
丘陵南端の最高所に位置する。
現在は石碑と竜神が祀られている。
■ 帯郭跡
本丸の北側に一段低く位置している。
■ 本丸より梁川城方面を望む
阿武隈川を挟んで対岸に位置する。
■ 遠望
東側より望む。