■ 沿革
住吉館の館主は酒井大学と伝わる。
しかし、この地は伊達氏の勢力下にあり、伊達郡において伊達氏の家臣団に酒井なる者の名が見当たらない。従って、住吉館はこの地より東南1kmの位置にある大枝氏の居城である大枝城の根古屋、もしくは隠居館のような存在であったと考えられる。
安永5年(1776)、大枝氏の菩提寺であった光明山徳本寺が火災に遭い焼失すると、住吉館跡に再建され現在に至っている。
■ 構成
住吉館は一辺100m強規模の方形単郭の館であり、大手口は東側に位置していた。
幅約9m、深さ約1.5mの水堀によって周囲を囲まれており、その内側には幅約15m高さ3mの土塁が廻らされていた。
■ 現況
現在は光明山徳本寺の境内・墓地となっており、周囲の土塁や水堀などの遺構は北側の一部を除き、良好に残っている。
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■ 徳本寺入口
大手口は東側とされるが、徳本寺の入口も東側である。
しかし、北側半分が消失してしまっており、大手口も後世の改変があったものと思われる。 |
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■ 東側土塁跡
頂部に祠が祀られ、脇には説明板が設置されている。 |
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■ 主郭跡
現在は徳本寺の境内及び墓地となっている。 |
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■ 南西側水堀・土塁跡
内側に土塁、外側に水堀を配する。 |
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■ 北側土塁跡
東側・西側・南側の遺構は良好に残る。 |
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■ 北側
国道320号線(画像左側)と国道321号線(画像右側)が通ったため遺構は破壊されている。
中央部は土塁跡であろうか。 |
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