つなとりじょう
綱取城
綱取城 遠望  訪問年月日  2007年4月28日
 別称  漆沢村館
 所在地  福島県耶麻郡北塩原村北山字要害
 創築者  −
 主要城主  松本氏
 築城年  −
 廃城年  永正2年(1505)
 様式  山城・梯郭式
 構成  主郭・二ノ丸・外郭
 遺構  郭・土塁・空堀・竪堀・礎石
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  村指定重要文化財
 ■ 沿革
綱取という名前は、勾配が急なため綱を使って物資や人員を引上げた事に由来するといわれている。
位置的に会津と米沢を結ぶ米沢街道を見下ろす事ができ、蘆名氏にとって出羽国の伊達氏に対する重要な拠点の一つであった。

築城の時期は不明であるが、蘆名氏の家臣で四天宿老の一人に数えられる松本氏の居城である。
明応9年(1500)、会津黒川城主蘆名盛高は、家臣である松本対馬の居館の中野館を攻め、これを落とした。そこで対馬は弟の松本勘解由左衛門宗輔の居城である綱取城に逃れて立て籠もった。
蘆名盛高はこれを包囲して落城させ、対馬を討ち取り、勘解由の方は降参して許されたという。

永正2年(1505)、蘆名盛高は子である盛滋と対立した。
盛滋は松本源三・松本勘解由らと共に綱取城に立て籠もったが敗れ、結果盛滋は伊達氏を頼って出羽国長井庄に逃れた。これ以降綱取城は廃城になったと思われる。


 ■ 構成
綱取城要害山の地形を利用した山城である。
大手口は北西側に存在していたものと思われ、主郭は頂部に位置している。
主郭の西側に二ノ丸が位置し、本丸東側には外郭が存在した。


 ■ 現況
現在は山林となっており、南側の入口には説明版が立てられている。

■ 綱取城居館跡
城の南西側、街道沿いに位置する。
綱取城は急勾配の要害のため、平時の居館が置かれていたと思われる。
■ 入口
城の南西側に位置する。
大手口は北西側であったといわれるため、後世の手によるものかもしれない。
■ 南側堀切跡
入口すぐにある堀切跡。
■ 登り道
しばらくは緩やかな登り道が続く…
■ 登り道
主郭が近付くにつれ勾配が激しくなってくる。
■ 竪堀跡か
上記画像より振り返ったところ。
数段の畝が確認できる。
■ 主郭入口
非常に急勾配となっている。
■ 主郭入口からの眺望
入口から主郭全体を望んだところ。
■ 主郭土塁跡
主郭中央部に区切るように土塁跡が確認できる。
中央の切れ間は門跡か?
■ 主郭東端側
主郭はここで終わっている。この先は堀切によって分断されている。
■ 主郭東端土塁跡
1mに満たない高さではあるが土塁が設けられている。
■ 主郭東側堀切跡
下側から望んだところ。
■ 主郭奥
主郭の奥にも数段の郭跡が存在するようだ。
■ 主郭北側腰郭跡
主郭の周りには1段低い郭が巡らされている。