やながわじょう
梁川城
梁川城 大手門標柱  訪問年月日  2004年5月1日 / 2009年9月20日
 別称  鶴ヶ岡城
 所在地  福島県伊達市梁川町鶴ヶ丘
 創築者  伊達氏
 主要城主  伊達氏・蒲生氏・上杉氏
 築城年  鎌倉時代(1192〜1333)か
 廃城年  寛文4年(1664)
 様式  平山城
 構成  本丸・二ノ丸・三ノ丸
 遺構  土塁・水堀・土橋・枡形・楼台
 設置・復原物  説明板・庭園
 文化財指定  県指定史跡
 ■ 沿革
梁川城は伊達氏始祖である朝宗が築いたとされる。
その後、伊達氏3世義広が「粟野の大館」に城を築いて移ったというという記録が残っているが、この「粟野の大館」が梁川城であるという説もあり、築城の時期は明らかではない。

−伊達氏の居城−
応永20年(1413)、伊達氏11世持宗は鎌倉公方である足利持氏と争い、居城である大仏城(当時の福島城)を攻撃され、落城した。持宗は一旦会津に逃れたが、後に大仏城を取り戻し、居城を梁川城に移した。
以後、梁川城は伊達氏の居城として整備され、長享2年(1488)には奥州探題である大崎義兼が家中の内紛のため伊達氏を頼り、梁川城に在註したこともある。

−西山城への移転−
大永2年(1522)、伊達稙宗は陸奥国守護に任じられ、梁川城は奥羽の中心地としてさらに重要な位置を占めるようになった。
しかし天文元年(1532)、稙宗は居城を西山城に移した。そのため天文22年(1553)に梁川城は稙宗の7男である宗清に与えられ梁川氏を名乗らせたが、天正19年(1591)、豊臣秀吉の奥羽仕置により、伊達政宗が会津地方を没収され岩出山へ移されると、宗清も梁川城を去った。

−蒲生氏・上杉氏の時代−
伊達氏の替わりに会津の地は蒲生氏に与えられ、梁川城には蒲生氏の家臣である蒲生喜内頼郷が入城し、慶長3年(1598)に上杉景勝領になると城代として須田大炊助長義が2万石で入った。
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の際に徳川方についた伊達政宗は、石田方と目されていた上杉景勝の支城であった梁川城を攻撃した。しかし城代の須田長義らの奮戦もあって伊達勢は撃退され、結局伊達勢は北目城に撤退した。

寛文4年(1664)、上杉氏が減封されるに及び、梁川城は廃城になった。
その後の天和3年(1683)、尾張の松平義昌がこの地に封じられ梁川城跡に陣屋を設置し、文化4年(1807)〜文政4年(1821)には松前章広に与えられ松前藩領となるなどしたが、明治維新において陣屋は廃止された。


 ■ 構成
梁川城の本丸は中心部に位置し、北側を除く三方に二ノ丸が位置していた。さらに北側と西側に三ノ丸が位置し、北側の三ノ丸は伊達氏時代のものと思われる。
伊達氏時代の大手門は北三ノ丸に位置しており、大規模な土塁で構築された枡形が設けられ、水堀や空堀で二重の構えを擁している。
それぞれの郭には土塁と水堀が廻らされており、二ノ丸東側には金沢堀と呼ばれる広大な堀が存在した。


 ■ 現況
本丸跡は現在梁川小学校・梁川幼稚園に、二ノ丸後は梁川中学校・梁川高等学校になっている。
三ノ丸はほとんどが宅地化されている。
二ノ丸の金沢堀、北三ノ丸の大手門枡形は良好に残り、土塁や水堀・空堀も残っている。

昭和53年(1978)〜56年(1981)にかけて本丸跡である梁川小学校校庭の一角に、中世庭園「心字の池」が復元されている。これは東日本で唯一の中世庭園と言われている。

■ 大手門跡
北三ノ丸に位置する。
伊達氏時代の大手門とされるが、蒲生・上杉氏時代に改修されたものと思われる。
■ 大手門枡形
高さ5〜6mの土塁によって構成され、幅10m前後の巨大な枡形を擁していた。
画像は本丸方面を望んだところ。
■ 大手門枡形
外側方面を望む。
土塁の切目の奥には水堀が設けられ、橋によって繋がれていた。
■ 大手門水堀跡
堀の向こう側には馬出を擁していた。
■ 北三ノ丸土塁
北三ノ丸の北側の土塁である。
土塁の外側には堀が位置している。
■ 七ヶ井戸
いわゆる北三ノ丸の外堀である。
幅18m、深さ5.4mの大規模なものであった。
■ 北三ノ丸虎口
北西に位置する。
土橋によって繋がれていた。
■ 北三ノ丸空堀
七ヶ井戸の外側にさらに土塁と空堀が位置し、二重堀の構造となっていた。
■ 北三ノ丸
伊達氏時代の三ノ丸である。
現在は住宅地となっている。
■ 金沢堀
二ノ丸東側の堀跡である。
幅27m、深さ4mの規模であった。
■ 入口
梁川小学校入口である。
上杉氏時代の地図では特に通路としての設備は無かったようだ。
■ 大手門跡
梁川小学校北側にある上杉氏時代の大手門跡である。
当時の絵図では石垣の上に築かれた櫓門であったという。
■ 本丸跡
現在の梁川小学校校庭である。
■ 庭園跡
昭和53年(1978)〜56年(1981)にかけて、本丸跡である梁川小学校校庭の一角に中世の庭園「心字の池」が復元されている。
これは東日本で唯一の中世庭園と言われている。
■ 浅間神社
浅間神社(せんげんじんじゃ)は伊達氏始祖である朝宗が、梁川城築城の際に城中鎮護を願って富士権現を祀って創建したといわれる。
■ 地図
上杉氏時代のものである。