■ 沿革
工藤氏の支流、田頭氏の居城とされる。
葛巻河内信祐に雫石伯耆丞詮員の娘が嫁して二子をもうけた。その二男が田頭氏を名乗り、田頭佐衛門佐直祐として天正年間(1573〜92)に1,000石を領して南部氏に仕えた。
天正19年(1591)、九戸政実が南部信直に対し兵を挙げた際、平館城の一戸信濃守政包は政実に加担して信直方の田頭城を攻めた。田頭勢は必死に防戦したが、ついに落城し、城主直祐は搦手から脱出して大更の夏間木まで逃げたが、追手が迫り自刃して果てたという。
■ 構成
標高328mの丘陵上に位置し、頂部の平場を本丸とし、その南東側に段差を設けて二ノ丸・三ノ丸を配している。
■ 現況
現在は館山公園として整備されている。
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■ 本丸跡
頂部に位置する。画像の奥には空堀が存在する。 |
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■ 本丸北側
本丸の北側に空堀跡があり、橋で結ばれている。 |
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■ 東側
画像右手の最頂部が本丸。その下に二段の郭が、計三段となっている。 |
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