■ 沿革
江釣子館の創建時期は明らかではないが、江釣子氏の居城であったといわれる。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥羽仕置における和賀氏の所領没収によって廃城となり、天正20年(1592)に南部信直の手で破却された。
江釣子氏は和賀氏の重臣であり、高橋氏とも称した。慶長5年(1600)の和賀一揆の際には、剛勇を謳われた江釣子民部少輔吉資が和賀氏に従って蜂起している。
■ 構成
言い伝えによると、方形状で四周に土塁をめぐらせ、堀で囲まれていたとされる。
■ 現況
北上市役所江釣子庁舎の西側に位置する体育館西北に水堀の跡が残っており、標柱が建てられている。
この地の北側に位置する江釣子小学校付近が館跡とされるが、ここから南に位置する江釣子神社周辺が館跡とされる説もある。
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■ 城域
現在の北上市立江釣子小学校敷地が城域であったといわれる。 |
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■ 城域
江釣子小学校南側の北上市役所江釣子庁舎の駐車場に石碑が建てられている。 |
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■ 水堀跡
北上市役所江釣子庁舎の駐車場北側に一部水堀跡が残る。 |
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■ 江釣子神社入口
市役所庁舎のさらに南に位置する江釣子神社。 |
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■ 江釣子神社境内
ここが主郭であったともいわれる。 |
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■ 江釣子神社
嘉禄元年(1225)、藤原五郎基常が、和賀川で釣り上げた観音像を祀ったところ、息子六郎の病が全快した事から、主君・和賀式部太夫忠頼から「江釣子」の姓を賜ったという。 |
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■ 江釣子神社北側
若干の段差が確認出来る。土塁跡であろうか。 |
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■ 江釣子神社南東側堀跡
比高2〜3m程度の高さがある。 |
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