鳩岡崎三館 土塁跡 |
訪問年月日 |
2008年4月26日 |
別称 |
− |
所在地 |
岩手県北上市鳩岡崎 |
創築者 |
鬼柳氏か |
主要城主 |
鬼柳氏・鳩岡崎氏 |
築城年 |
− |
廃城年 |
− |
様式 |
平城 |
構成 |
主郭・前館・後館 |
遺構 |
郭・土塁 |
設置・復原物 |
標柱 |
文化財指定 |
− |
■ 沿革
鳩岡崎三館の創建時期に関しては明らかでは無いが、「義綱城」とも呼ばれ、鬼柳義綱の館であったとされる。
義綱は『鬼柳文書』によると、和賀二郎左衛門尉光義の庶子・四郎憲義の子であり、貞和4年(北朝元号1348)に父・憲義より譲られた所領として「鬼柳郷内所構楯代三田糠山、同郷鰭岡崎」と記されている。
また、北朝方の陸奥国大将である石塔義房が糠部攻撃の際に一泊したという伝承も残る。
後に鳩岡崎氏が居住しているが、関連性は不明である。
■ 構成
方形状で周囲を土塁で囲み、その外側に堀がめぐらされていた。
館の西側に前館と後館と呼ばれる館跡があり、この三つの館を称して「三館」と呼ばれていたと思われる。
■ 現況
現在、館跡は宅地・水田となり遺構は殆ど残っていないが、土塁の一部が残っている。
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