ひのとだて
日戸館
日戸館 遠望  訪問年月日  2009年10月11日 / 10月23日
 別称  一本杉館
 所在地  岩手県盛岡市玉山区日戸字古屋敷
 創築者  河村飛騨守
 主要城主  日戸氏
 築城年  正慶年間(1332〜34)
 廃城年  −
 様式  山城
 構成  上館・中館・下館
 遺構  郭・土塁・空堀
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
日戸館は河村氏の一族・日戸氏の居館である。館の傍らに慈覚大師がお手植されたと伝えられる杉の巨木が存在していたことから「一本杉館」の別称を持つ。
正慶年間(1332〜34)、河村飛騨守が南部氏11代・信長によって日戸村を与えられ、日戸館を構えて日戸氏を名乗った。
後の日戸館主の名としては日戸内膳秀恒、他に秀礼、直秀らの名が伝わる。
天正16年(1585)、秀恒は南部氏26代・信直による斯波氏攻撃の軍功により1,300石を与えられた。さらに慶長13年(1608)には300石の加増を受け、野辺地城の城代として移った。
その後の日戸館の状況は不明である。


 ■ 構成
古屋敷地区の東部から西部へ伸びた丘陵上の西端に位置する。
東側より上館・中館・下館の3郭によって構成されており、それぞれが深い空堀により区切られている。また、館跡の南側は二重堀が設けられている。

主郭と推定される上館の規模は東西約60m×南北約90mであり、北西の角には棚状の削平地が存在する。空堀を隔てて位置する中館の規模は東西約60m×南北約50mである。中館のさらに空堀を隔てて位置する下館は三角形の形状で北面約50m・南面約60m・東面40mの規模である。


 ■ 現況
現在、館跡は農地・空地となっているが郭跡・空堀などの遺構は良好に残る。

■ 上館
現在は農地となっている。
■ 上館南側土塁跡
画像中央の土塁の切間からは空堀跡に続いている。見様によっては虎口に見えなくも無い。
■ 上館郭跡
北東側を望む。一部段築が認められる。
■ 上館南側二重堀跡
画像左手が上館の切岸、右側は二重堀の中央部分土塁である。
残念ながら二重堀全体の撮影は難しい。
■ 上館・中館間空堀跡
画像右側が上館、左側が中館である。
■ 中館
東側から西側にかけて大きく傾斜している。
後世の改変があったためかどうかは不明。
■ 中館南側土塁跡
一部土塁と思わしき遺構が残っている。
■ 中館南側二重堀跡
画像左端の土塁、中央部の土塁によって二重堀が設けられている。
画像右側のタイヤ痕は二重堀を垂直に貫通している。恐らく後世の改変によるものと思われる。
■ 下館
丘陵西端に位置する。
■ 古屋敷
館跡東側に位置する。現在は常光寺や住宅地となっている。
■ 日戸館 全景