■ 沿革
平田野館は、沼田の長者といわれた平田野荘司・家次の居館であったといわれている。
かつてこの地は西側に北上川が流れており、船場が設けられていた。さらに東側には奥州街道が通っており、交通の要衝であった。
地理的にみて中世においての平田野館は、河村氏の一族である日戸氏・下田氏・玉山氏らの玄関口としての役割を果たしていたと思われる。
■ 構成
北上川東岸の標高20mの丘陵上に位置する。
北側に東西60m×南北100mの郭が位置し、西端には空堀を隔てて約100uの小規模な郭が存在する。
南側には東西100m×南北140mの不整形の郭が位置しており、両郭はかつて空堀で区分されていたとされる。
■ 現況
現在、館跡は住宅地・農地・林となっており、改変が著しい。
また、一部が渋民中央病院の敷地となっている。
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■ 館跡
中央部より東側を望む。画像中央の建造物が渋民中央病院である。
自動車の轍跡より右側が南郭、左側が北郭と思われる。 |
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■ 館跡
上記画像の位置より反対側、西側を望む。
画像左側が南郭と思われる。 |
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■ 北郭西端
画像左手の茂み奥が堀切となっている。 |
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■ 郭跡
上記画像の堀切によって区切られている。
9m×11mの規模の小規模な郭跡である。 |
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