いっかたいじょう
一方井城
一方井城 南部信直生誕の石碑  訪問年月日  2005年4月29日
 別称  輪台城・九井館
 所在地  岩手郡岩手町一方井
 創築者  −
 主要城主  一方井氏
 築城年  ?
 廃城年  文禄元年(1592)
 様式  山城
 構成  一ノ郭・二ノ郭・三ノ郭
 遺構  土塁・空堀
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
一方井城は一方井氏の居城であり、南部氏26代南部信直が生誕した城でもある。

−南部信直の生誕−
一方井城は阿倍貞任の子孫、安東氏がこの地に入り、一方井氏を名乗り代々居城とした。
天文15年(1546)、南部氏22代政康の二男で田子城主の南部高信を父に、一方井丹後守安正の娘を母にこの城で生まれた。
それにより一方井安正は南部氏のため、米内右近・栗谷川仁佐衛門らと協力し、南北から日戸・玉山・下田・渋民・乙部・大釜らの諸豪族を攻略した。これによって北岩手の地は南部氏の領有になることが確実となった。
その後、一方井孫次郎は天正19年(1591)、九戸の乱に南部信直方として参陣し、文禄元年(1592)には一方井城は破却され、一方井氏は盛岡城築城とともに盛岡へ移住した。


 ■ 構成
一方井城は高山から南に伸びる丘陵の南端に位置し、南西に一方井川が流れており、北側は山、東側は急斜面となっている。
郭は南から一ノ郭・二ノ郭・三ノ郭と南北に連なっており、深い空堀で区切られている。また、東側に一段低く郭が残っている。


 ■ 現況
現在一ノ郭に説明板と八幡神社が設置されている。

■ 一方井川
一方井城の南西側を流れる。
■ 入口
大手花橋を超えてすぐ左、民家の間を通って行く。
■ 入口
おそらく大手門だったと思われる。
■ 一ノ郭
城の南側の半分を占める郭。この画像は北側を撮影したところ。この奥に二ノ郭・三ノ郭がある。
二ノ郭との間に大規模な土塁が見える。
■ 一ノ郭南側
これは反対側。
■ 一ノ郭・二ノ郭間の空堀
かなり大きい空堀である。
■ 二ノ郭跡
藪で覆われて分かりづらいが、中央部の茂みが二ノ郭である。
左通路を奥に進むと三ノ郭であるが、回廊状になっているため右側通路を進んでも二ノ郭をぐるりとまわって三ノ郭に行き着く。
■ 三ノ郭跡
城の一番北側の郭である。
■ 一ノ郭東側腰郭
一ノ郭の東側に何段か腰郭のような段差がある。
■ 中館跡
一ノ郭の大手口とは反対の方にある郭。位置的に搦手口があったようだ。
■ 地図