亀ヶ森城 本丸跡  訪問年月日  2003年8月2日 / 2009年11月7日
 別称  八幡館
 所在地  岩手県花巻市大迫町亀ヶ森
 創築者  八木沢外記
 主要城主  八木沢氏・亀ヶ森氏
 築城年  文亀3年(1503)
 廃城年  慶長6年(1601)か
 様式  山城
 構成  主郭・二ノ郭
 遺構  郭・土塁・堀
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
亀ヶ森城は稗貫氏の家臣である亀ヶ森氏の居城である。
当初は稗貫氏の始祖である広重(為重)の子・能登守為長がこの地に入部し、亀ヶ森氏を名乗ったとされる。
しかし地元の伝承によると文亀3年(1503)、同じく稗貫氏の家臣である八木沢外記が亀ヶ森の地に移住した際、亀ヶ森城を築いて居城にしたとされる。

−八木沢氏から亀ヶ森氏へ−
天文9年(1540)、八木沢氏が没落すると、その後は亀ヶ森図書光広が城主となった。光広は翌天文10年(1541)に八幡神社を、さらに翌天文11年(1542)には菩提寺の中興寺を建立するなど、城下の整備を行った。
弘治3年(1557)、光広は主家である稗貫氏に反逆している。これに対し稗貫氏当主である稗貫孫六郎為嗣は、家臣の槻木下野守光治・矢沢左近治真らを派遣して鎮圧を試みた。しかし光広はこれを撃退し、逆に槻木光治を討取っている。
この反乱の収束状況は定かでは無いが、この後も亀ヶ森氏がこの地を治めている。

−亀ヶ森氏の抵抗−
天正18年(1590)、亀ヶ森玄蕃家衡の代に稗貫氏は豊臣秀吉による奥羽仕置によって所領没収となり、亀ヶ森氏もこれに従うところとなった。しかし、家衡は同じ一族の亀ヶ森能登守喜明と共に、未亡人となった稗貫広忠の正室・於三の方を「稗貫御前」として奉じ、御前を南部信直の側室とすることにより南部氏に仕えた。その結果、家衡は亀ヶ森に700石を安堵された。さらに喜明は陸奥国九戸郡山屋村に100石を与えられて山屋三右衛門喜明を名乗った。
この山屋氏からは、後に日本海軍大将であり皇太子妃雅子妃殿下の曽祖父にあたる山屋他人が輩出されている。

−玄蕃家衡の没落−
慶長6年(1601)、和賀・稗貫一揆の際、稗貫氏の旧臣らが蜂起するのを横目に、家衡は亀ヶ森城を死守していたため、南部利直に高く評価されたという。
同じ頃、かつて志和郡の領主であった斯波氏の一族である斯波孫三郎が蜂起し、志和郡長岡城を奪取しようと試みた。しかし、孫三郎の家臣である貝志田与三が南部氏側に寝返ったため、孫三郎の一揆は失敗に終わった。この孫三郎が亀ヶ森を通って逃れる際、利信から捕縛の命を受けた家衡は幕内沢を本陣にして孫三郎主従を待構えた。だが家衡は家臣の簗川筑前守と険悪の仲であったため家中の統率が取れず、やむなく孫三郎一行を取逃してしまった。これにより家衡は所領を没収され、中野造酒に預けられる身となったが、後に赦されて北信愛に100石をもって仕えた。


 ■ 構成
亀ヶ森城は比高約30mの八幡館山の地に位置する。
主郭の面積は東西約80m×南北約100mであり、北西側に東西40m×南北40mの規模の段築が設けられている。二ノ郭は東西約70m×南北約30mの規模である。主郭と二ノ郭の間には大規模な空堀で切断されており、これら主郭・二ノ郭群と東側の詰の城との間も大規模な空堀によって切断している。

八幡館山の当方には三日市があり、「上屋敷」「鍛冶屋敷」「上宿」「中宿」「下宿」などの地名が残る。


 ■ 現況
現在、亀ヶ森城跡の二ノ郭には八幡神社が祀られ、主郭跡はほとんど未整備である。
麓は中興寺の敷地となっている。

■ 大手道土橋跡
城域北側に位置する。堀によって守られていた。
■ 堀跡
大手向かって左側である。現在は湿地となっているため、かつては水堀であったかもしれない。
■ 堀跡
大手向かって右側である。こちらは空堀状である。
■ 二ノ郭跡入口
八幡神社参道となっている。
■ 二ノ郭跡
現在は八幡神社の敷地となっている。東西約70m×南北約30mの規模であり、本丸を西側に抱えている。
■ 二ノ郭跡「矢立の杉」
かつて八幡太郎義家の一行が安部貞任を攻撃する際に、亀ヶ森の地(現八幡神社)で休息をとった。
この時、背負っていた矢を路傍の杉の木に立掛けたところ、これがこの「矢立の杉」となったという伝承が残る。
数度落雷を受け、ダメージを受けながらも辛うじて生き続けていたが、昭和26年(1951)の火災において延焼し、ついにこのように根本部分が残った。
■ 二ノ郭北側切岸跡
二ノ郭に限らず、主郭も北側外周は切岸によって防備に当てている。
■ 主郭跡
二ノ郭の西側の最高所に主郭が位置している。東西約80m×南北約100mの規模である。
全くと言って良いほど未整備である。
■ 主郭段築
一部土塁が設けられ、主郭の中でも一段高い高所が設けられていた。
■ 地図
説明板より。





かめがもりじょう
亀ヶ森城