まるこだて
丸子館
丸子館 標柱  訪問年月日  2003年9月6日 / 2008年4月5日
 別称  下古城・笊淵館
 所在地  岩手県北上市鬼柳町下鬼柳15地割
 創築者  鬼柳氏
 主要城主  鬼柳伊賀守
 築城年  −
 廃城年  天正18年(1590)か
 様式  山城
 構成  一ノ郭・二ノ郭・三ノ郭
 遺構  郭・空堀
 設置・復原物  標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
丸子館は和賀氏の有力氏族である鬼柳氏の居館である。
鬼柳氏の祖は、和賀氏始祖である和賀義行の二女・岡田女子の夫・葛西城八郎清基であったとされる。また、建武2年(1335)には鬼柳憲義が北畠顕頼より丸子館北側に位置する新堰村を領知している。
その後、憲義の子である義綱が鬼柳氏を継いだ。しかし義綱には子がなかったらしく、義綱の弟・清義が岡田女子の娘との間にもうけた子・義勝に鬼柳氏を継がせ、後に義勝は和賀氏の総領を継いだと思われる。

明治元年(1868)の『岩手県管轄地誌』によると、天文年間(1532〜54)は鬼柳伊賀守の居館と推定し、義勝の弟である義光は伊賀守を名乗っているとされる。そして天正6年(1578)、鬼柳伊賀守は居館を鹿島館に移した。
その後の丸子館の存続は不明だが、天正18年(1590)の和賀氏の所領没収により廃城になったものと思われる。


 ■ 構成
丸子館は和賀川南側にせり出した標高11mの丘陵先端に位置している。
中央を主郭とし、南西に二ノ郭、南東に三ノ郭が位置していた。全体は東西約300m×南北約250mの規模であった。主郭は東西約300m×南北約65m・面積6,000uであり、館主の屋敷跡が存在していた。
昭和47年(1972)と昭和53年(1978)の緊急発掘調査では掘立柱建物と竪穴式建物の跡が無数に確認された。


 ■ 現況
現在、丸子館中心部は国道4号線バイパスが貫通しており、遺構は殆ど破壊されている。

■ 一ノ郭跡
現在は国道4号線バイパスによって完全に分断されている。
■ 一ノ郭跡
遺構の損傷はかなり大きく、比高2〜3m程度の郭跡がかろうじて分かる程度である。
■ 一ノ郭跡
上記画像の裏側。土砂採取によって遺構は殆ど残っていない。
■ 一ノ郭空堀跡
西側よりの通路ともなっている。
■ 二ノ郭跡
一ノ郭南西側に位置する。
■ 三ノ郭跡
一ノ郭南東側に位置する。
■ 池
かつての堀か水源であろうか。