まつかわだて
松川館
松川館 全景  訪問年月日  2011年7月17日
 別称  内館・内城
 所在地  岩手県一関市東山町松川字館
 創築者  千葉隼人正村
 主要城主  松川氏
 築城年  康永2年(興国4・1343)
 廃城年  −
 様式  平山城
 構成  主郭・二ノ郭・三ノ郭
 遺構  郭・堀切・空掘
 設置・復原物  標柱・説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
松川館は松川千葉氏の居館である。この松川千葉氏は薄衣城の薄衣千葉氏の支族であった。

−松川千葉氏の成立−
康永2年(興国4・1343)、薄衣上総介清純(清堅)の四男である千葉隼人正村が葛西氏7代高清に従って軍功を挙げ、東山の地に200余町の知行を賜り、松川館を築いて居館とした。
応永7年(1400)、栗原郡三迫において宇都宮氏広が叛乱を起こして葛西氏・大崎氏連合軍と交戦した際、2代・右衛治部正胤は主君である葛西氏9代当主・満信に従って活躍した。その後、5代・胤滋には跡継ぎがおらず、奥玉城主・千葉左近胤永の二男である滋吉を養子に迎え、6代を継がせた。しかし滋吉が延徳元年(1489)に急死すると、葛西氏13代当主である政信は松川氏の凋落を惜しみ、薄衣城主・薄衣上総介清貞の弟である越中守信胤に松川氏を継がせた。

−二系統の松川氏−
しかし、滋吉の遺児で当時4歳だった胤広も健在であった。それにより信胤は松川館には入らず、鳥畑城を築いて自らの居城とし、幼少であった胤広の松川館と鳥畑城の両城を監督したと思われる。松川館を内館、鳥畑城を外館と呼称するのはそのためである。
結果、松川氏は二系統生ずることになり、松川館の「旧」松川氏は胤広以降、胤康・信康・信胤・胤好と10代まで存続した。

−度重なる内乱と当主の討死−
永正4年(1507)、金沢騒動と呼ばれる千葉氏の内乱が発生した。これは峠城主・寺崎下野守時胤と金沢城主・金沢伊豆守冬胤が同族ながらも争いに発展したもので、結果的に冬胤が勝利し、敗れた時胤に味方した胤広は討死している。
一方、鳥畑城の「新」松川氏は信胤以降、胤光・胤教と3代続いた。信胤の嫡子・胤光の代である永正7年(1510)、内乱が再び発生し、薄衣城主・薄衣上総介清貞と先述の金沢冬胤が交戦した。当然、胤光は伯父である清貞側に付いたが、豪勇を謳われた冬胤の活躍により、またもや金沢氏が勝利し、胤光は討死した。それにより「新」松川氏は胤光の嫡子である胤教が跡を継いだものと思われるが、勢力は衰退に向かったものと見られ、その後の動向は不明である。

−松川氏その後−
「旧」松川氏は胤広の死後、当時はまだ幼少であった胤康が跡を継いだ。胤康は葛西氏17代晴信に近仕して家名を保ち、胤康の子・平太郎は晴信より偏諱を受け信康と名乗り、晴信の命により千葉氏に復姓した。
このようにして何とか勢力を復興させていた最中、民部信胤が松川千葉氏最後の当主となった。しかし信胤は生来より病弱であったため、弟である胤好を養嗣子に定め、度重なる合戦の際には名代として出陣させている。

天正18年(1591)、主家である葛西氏が豊臣秀吉による奥羽仕置において改易されると、松川千葉氏も命運を共にして没落した。天正19年(1592)、大崎・葛西一揆において胤好は葛西氏旧臣として一揆勢側に参陣し、陸奥国桃生郡深谷荘にて木村伊勢守吉清の軍勢と戦って討死した。また、末弟である胤治は佐沼城に籠城の上、同じく討死している。信胤自身は南部氏の下へ逃れ、その後は出羽国仙北郡稲庭へ落延びて慶長12年(1607)に没した。


 ■ 構成
砂鉄川が北上川に合流する約5km上流、東岸に位置し、全体の規模は東西約230m×南北約350mの規模である。北端に位置する主郭は東西約60m×南北約100mの面積であり、東西にそれぞれ二段ずつの腰郭を擁している。東側の腰郭は主郭南側に続き、ニノ郭とを隔てる空堀となっている。
空掘を隔てて南側にニノ郭が位置し、東西約40m×南北70mの面積である。東西に大規模な腰郭を設けており、東側の腰郭は2?3段に分かれ、井戸跡と思われる湧水が残る。西側は砂鉄川に流れ込む沢に面し、急峻な崖となっている。この腰郭はニノ郭南側に続き、空堀となって三ノ郭とを隔てている。
三ノ郭は南端に位置し、面積は東西約60m×南北約50mであり、南西に大きくせり出している。


 ■ 現況
現在、城域は東山館山公園として整備されており、郭・空掘などの遺構が良好に残る。

■ 大手道
城域の東側を通る街道より伸びる大手道。
■ 大手口
主郭とニノ郭間の空掘に続いている。
■ 全景
主郭よりニノ郭、三ノ郭方面を望む。
■ 主郭入口
主郭西側に設けられている。
■ 主郭切岸
西側の切岸。
■ 主郭
城域北端に位置する。
■ 主郭腰郭
東側に設けられた腰郭。
■ 主郭〜ニノ郭間空掘
上記の腰郭が南側に続き、空掘となっている。
■ ニノ郭
主郭の南側に位置する。
■ ニノ郭虎口
ニノ郭東側に設けられた虎口。
■ 二ノ郭腰郭
東側に腰郭が位置している。
■ ニノ郭西側腰郭
現在は道路として使用されている。
■ 二ノ郭〜三ノ郭間空堀跡
主郭?ニノ郭間と同様、空堀によって隔てられている。
■ 三ノ郭
ニノ郭南側に位置する。
■ 三ノ郭土橋跡
三ノ郭中央部の空掘に設けられた土橋。
■ 三ノ郭空堀跡
三ノ郭は南西に大きくせり出しているがそれに沿って空堀も湾曲している。
■ 三ノ郭南端
南端に段築が設けられている。
■ 遠望
北側より望む。