なかのだて
中野館
中野館跡  訪問年月日  2010年5月22日
 別称  飛鳥川館
 所在地  岩手県盛岡市茶畑1丁目
 創築者  −
 主要城主  中野吉兵衛康実
 築城年  −
 廃城年  −
 様式  平城
 構成  −
 遺構  土塁・堀
 設置・復原物  −
 文化財指定  −
 ■ 沿革
中野館は九戸政実の弟である中野吉兵衛康実の居館であったとされる。

−南部氏と斯波氏−
鎌倉時代以降、岩手郡は地頭職である工藤氏によって支配されていたが、後に北方の三戸南部氏と南方の斯波氏の台頭により、工藤氏は劣勢に陥った。これによって、工藤氏は南部氏に従属する道を選び、事実上南部氏と斯波氏の対立となった。

−九戸政実の弟・中野吉兵衛−
南部氏と斯波氏の両者は険悪な関係の中でも和議を結ぶに至り、南部氏の有力氏族である九戸政実の弟・九戸弥五郎が斯波詮直の娘に婿入りし、弥五郎は高田吉兵衛と名乗った。
しかし天正14年(1586)、斯波氏家臣との争いに端を発した「高田橋事件」により吉兵衛は斯波氏を出奔し、南部信直の下へ走った。この際、吉兵衛は信直より中野館を与えられ、中野吉兵衛康実(後に修理亮直康)と名乗っている。これ以降、康実は南部氏側の斯波氏攻略の急先鋒となり、天正16年(1588)に南部氏は斯波氏を滅亡させた。


 ■ 構成
盛岡城の東南約1kmの地にであり、簗川と北上川の合流地点北側の平地に位置する。
館跡全体の規模や構造は不明である。


 ■ 現況
現在、主郭跡は駐車場となっており、周りにはマンション、スーパーマーケットなどが立地している。

■ 中野館外周
段築が確認できる。
画像右側の道路を挟んで反対側には羅漢公園が位置する。
■ 西側段築
現在松尾神社の入口となっている。
■ 松尾神社境内
館跡西側の一段低い場所に位置する。
■ 主郭跡か
最高所である。現在は駐車場となっている。
■ 主郭跡か
南側の段築跡である。
■ 主郭跡
上記画像を上部より望んだところ。
主郭跡へ続く道路となっている。
■ 羅漢公園
館跡東側に位置する。