■ 沿革
根子館は稗貫氏の重臣・根子氏の居館である。
館主の名としては根子大和守の名が伝わり、太田の他に根子、湯口、笹間の一部を支配していた。天正年間(1573〜93)、根子兵庫頭の代に居館を下館へ移したとされる。
根子氏は天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥羽仕置において稗貫氏の没落と同時に所領を失った。その後、慶長5年(1600)に和賀氏が蜂起した際、根子氏もこれに参加し、岩崎城に籠城している。しかし一揆勢は敗れ根子氏も四散し、その後の消息は不明である。
■ 構成
根子館は東西255m×南北110mの規模の平城であり、周囲に堀を廻らせていた。
■ 現況
現在、根子館跡は住宅地や水田となっているが、一部堀跡が明瞭に残り、地元が設置した説明板が設けられている。
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■ 土屋跡
根子館跡の東方に位置する。この地にはかつて杢兵衛という者が流れ着き、開拓にあたった。
屋敷の周りに堀を廻らし、建物には土を塗ったので「土屋」の屋号が付いた。 |
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■ 宿跡
土屋の西側、根子館の東側堀の外側に位置する。
その名が示すように、家臣屋敷が存在していた。 |
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■ 東側堀跡か
現在は南北に走る道路となっている。 |
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