野駄館 標柱 |
訪問年月日 |
2005年4月29日 |
別称 |
− |
所在地 |
岩手県八幡平市野駄 |
創築者 |
中野氏 |
主要城主 |
− |
築城年 |
寛永6年(1629) |
廃城年 |
− |
様式 |
平山城 |
構成 |
本丸・腰郭 |
遺構 |
郭・堀切 |
設置・復原物 |
説明板・板塀 |
文化財指定 |
− |
■ 沿革
野駄館は南部氏の一族である中野氏の館であった。
中野氏の始祖は九戸政実の弟の中野吉兵衛康実である。康実は当初、高水寺城主・斯波詮直の女婿となっており、高田吉兵衛と名乗っていた。吉兵衛は天正14年(1586)に斯波氏の下を出奔し、南部信直に仕えた。その際、岩手郡中野館を与えられ、中野吉兵衛康実と名乗った。その後、中野氏は文禄年間(1593〜96)から慶長年間(1596〜1615)にかけて志和郡片寄城を居城としている。
天正16年(1588)、高水寺城の斯波詮直は南部信直の攻撃を受け、高水寺城は落城、斯波氏は滅亡した。それに伴い信直は高水寺城を郡山城と改称し、慶長20年(1615)頃には中野氏を城代に任じた。
寛永6年(1629)、郡山城が南部氏の直轄となると、中野氏にはその代替として志和郡彦部村・赤沢村・岩手郡寄木村・北森村(野駄村の事か)・田頭村を与えられた。そこで中野氏は野駄館を築き、家臣を常駐させていた。
■ 構成
丘陵の頂部が本丸跡とされ、北側は沢によって区切られている。
東側は急峻な傾斜であり、西側は4段もの腰郭が設けられている。
■ 現況
現在、館跡は公園となっており、本丸跡には武家屋敷様式の建造物が建っている。
また、板塀や冠木門が復原されている。
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■ 本丸
頂部に位置する。
現在は武家屋敷様式の建造物が建てられている。 |
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■ 西側腰郭
4段の腰郭を設けている。
現在は板塀が再現されている。 |
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