ぬだ(のだ)だて
野田館
野田館跡  訪問年月日  2010年5月3日
 別称  −
 所在地  岩手県北上市下江釣子
 創築者  −
 主要城主  野田氏
 築城年  −
 廃城年  天正年間(1573〜92)
 様式  平城か
 構成  −
 遺構  −
 設置・復原物  −
 文化財指定  −
 ■ 沿革
野田館の沿革・館主等は不明であるが、天正年間(1573〜92)まで館が存在していたといわれる。

館主の名として一説には、和賀五郎右衛門尉景行の子孫と推察される野田三郎兵衛尉の名が挙げられる。野田氏は和賀氏一族の中でも勇猛を謳われ、一族には野田三郎兵衛盛綱、野田三郎兵衛森重、野田八郎左衛門尉、野田七郎太郎、野田六郎左衛尉らの名が伝わる。

野田氏は北朝方に組していたとされ、三郎兵衛尉は貞和3年(正平2・)に陸奥国伊達郡の藤田・宇津峯の攻撃に参陣しており、三郎兵衛盛綱は観応2年(正平6・)、1〜2月の宮城郡府中・岩切・虚空蔵の合戦に参陣している。


 ■ 構成
江釣子館の西方約1kmの地に位置し、和賀側の北岸に存在する。
かつては深い森であったとされるが、構成は不明である。


 ■ 現況
現在、館跡は和賀川の堤防建設により遺構は全て消失している。

■ 館跡
堤防建設以前は野田川原と呼ばれ、深い森であったという。
■ 熊野神社
かつて和賀川堤防建設の際に左岸の川原に取り残されそうになったため、堤防上に移したとされる。
■ 館跡
現在は和賀川堤防建設により遺構は残っていない。
■ 和賀川
館跡の南側を流れる。