■ 沿革
沼宮内城は沼宮内氏の居城である。
沼宮内の地は、かつて三戸南部氏が三戸城を居城としていた際に三戸郡と岩手郡の境にあり、軍事的に重要な地で「岩手関」と呼ばれた。
沼宮内氏は文治5年(1192)、源頼朝の奥州合戦の際に戦功のあった相模国河村氏の一族とされる。沼宮内氏が記録に出てくるのは、室町時代に沼宮内民部常利とその子である治部春秀が南部氏に従属した時からである。
天正19年(1591)、九戸の乱の際には、征伐にあたった豊臣軍5万3000余騎が駐留し、南部利直と軍議を開いたこともあったという。
天正20年(1592)、南部諸城48ヶ城の一つとして破却された。
■ 構成
北上川と大坊川に挟まれた標高328mの丘陵に位置する。
規模は東西180m×南北300mで、3つの郭と物見櫓から構成されており、それぞれの郭は空堀によって区切られている。
北側に位置する主郭は100×40mの広さで北側に一段高い平場が、北西側には物見櫓と思われる出丸があり、西側の斜面は三重堀となっている。
南郭は70×80mの面積で二重堀で囲まれている。東郭から尾根に続く部分は二重堀で切断されている。
■ 現況
現在は城山公園として整備されている。
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■ 空堀跡
東側より主郭へ向かう途中、古城橋が架けられている空堀跡である。 |
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■ 土塁跡
空堀を越えて主郭へ向かう手前直前の画像。 |
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■ 主郭腰郭跡
主郭東側に位置し、腰郭の様な形状である。
南北に細長く伸び、公園遊具が設置されている。 |
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