大釜館 |
訪問年月日 |
2010年5月22日 |
別称 |
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所在地 |
岩手県滝沢市大釜字外館 |
創築者 |
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主要城主 |
大釜氏・武田丹後 |
築城年 |
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廃城年 |
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様式 |
平城 |
構成 |
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遺構 |
土塁・堀 |
設置・復原物 |
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文化財指定 |
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■ 沿革
大釜館の創建時期は明らかではないが、代々大釜氏の居館であったとされる。
『奥南盛風記』によると、天正元年(1573)に雫石伯耆守(詮貞か)の手勢200により、太田館と共に焼払われたという。
大釜氏は多田和賀氏の庶流と伝えられ、慶長3年(1598)には大釜彦右衛門が700石の知行を得ていた。大釜氏は斯波氏の家臣であったとされ、斯波氏滅亡後は南部氏に仕えたが、罪があったため捕らわれたとされる。しかし、その後に赦されて岩手郡寺田村の地に微禄を与えられたという。
江戸時代に入り、南部氏が盛岡城に居城を移してからは、大釜館には武田丹後守が入った。この異動の背景には、かつて斯波氏の家臣で雫石城を整備した綾織越前守広信が篠木に住んでおり、これを警戒した南部氏の牽制であったという。
■ 構成
雫石川北岸1km先の河岸段丘に位置する平城である。
一辺が100m程度の屋敷型であり、土塁と堀が設けられていた。
■ 現況
現在は東林寺の敷地となっており、遺構は全く残っていない。
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■ 館跡
現在は東林寺および同系列の幼稚園などの敷地となっている。 |
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