おおがゆだて
大萱生館
大萱生館跡  訪問年月日  2010年5月22日 / 2010年10月2日
 別称  江柄館
 所在地  岩手県盛岡市大ケ生22地割
 創築者  大萱生秀重か
 主要城主  大萱生氏
 築城年  天正年間(1973〜1593)
 廃城年  −
 様式  山城
 構成  −
 遺構  郭・空堀
 設置・復原物  説明板・墓所
 文化財指定  −
 ■ 沿革
大萱生館は河村氏の一族である大萱生氏の居館である。
文治5年(1189)、奥州合戦において河村秀清が軍功を立て、源頼朝に陸奥国岩手郡・志和郡の北上川東側に所領を与えられた。大萱生氏はその河村氏の一族であったと思われる。

−斯波氏から南部氏へ−
創建時期は不明であるが、天正年間(1973〜1593)に鷲内玄蕃秀重が大萱生館の館主となり、大萱生氏と改姓したとされる。秀重の妻は斯波詮直の叔母であったため、大萱生氏は斯波氏の家臣となっていた。しかし、同じ斯波氏家臣である高田吉兵衛康実が出奔して南部氏の下に逃れると、斯波氏と南部氏が対立し、秀重も康実の誘いに乗って南部氏側に組した。

−落城−
天正16年(1588)、斯波氏が南部氏に滅ぼされると、秀重は南部氏に重用された。しかし旧主・斯波詮直が大萱生氏を頼って落延びてくると、秀重がこれを匿っている事が露見し、天正17年(1589)10月、南部信直の攻撃を受けて大萱生館は落城した。後に秀重は康実の取成しによって信直に赦され、大萱生氏は旧領を安堵されて大萱生館を居館とし、江戸時代まで続いた。


 ■ 構成
大萱生館は標高341mの丘陵上に位置し、中央部に位置する主郭と、東西にそれぞれ副郭が位置していた。主郭には帯郭が取巻いていた。


 ■ 現況
現在、大萱生館跡は瀧源寺背後に位置する。
館跡は果樹園や雑木林となっており、大萱生館歴代館主の墓所が祀られている。

■ 瀧源寺
館跡の麓、北側に位置する。
■ 乙部川
館域の北側を流れる。
■ 館跡外周
■ 空堀跡
西側に延びる尾根を分断するように空堀が存在する。
■ 館跡入口
「大萱生歴代城主の墓」の看板が設置されている。
■ 登道
幅1〜2m程度の狭い道が続く。
■ 段築
西側に延びる尾根先端。数段の段築が存在している。
■ 南側帯郭
主郭より数段の段築が確認できる。
■ 主郭跡
現在は果樹園となっている。
■ 主郭北側切岸
■ 大萱生氏墓所
大萱生氏歴代当主の墓所。