おとべだて
乙部館
乙部館 空堀跡  訪問年月日  2009年11月22日 / 2010年5月22日
 別称  −
 所在地  岩手県盛岡市乙部
 創築者  −
 主要城主  乙部氏・福士左衛門尉
 築城年  −
 廃城年  天正20年(1592)
 様式  平山城
 構成  −
 遺構  郭・土塁・空堀
 設置・復原物  説明板・標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
乙部館は斯波氏の家臣・乙部氏の居館である。館主の名としては乙部兵庫の名が伝わる。
主家である斯波氏滅亡後、乙部治部義説は2,000石の知行をもって南部氏に仕えた。

後に乙部館は南部信直によって福士左衛門尉に与えられたが、天正20年(1592)、豊臣秀吉の命により、他の南部氏の諸城と共に破却された。


 ■ 構成
乙部館は平山城であり、南側を乙部川が流れる丘陵地に位置する。
東西に分けて3つの郭に分かれており、それぞれが大きな空堀で区切られている。


 ■ 現況
現在、乙部館跡は宅地や果樹園となっているが、空堀跡が明瞭に残り、説明板や標柱が設けられている。

■ 遠望
北側よりの遠望。
■ 空堀跡
館跡東端の空堀跡。
この東側も郭跡なのかもしれない。
■ 東郭
現在は個人の住宅地となっている。
■ 東郭北側
■ 東郭土塁跡
東郭の北側に残る。
■ 中郭
標柱や説明板が設置されている。
■ 空堀跡
東郭と中郭を区切る空堀。
乙部館の中では最も大規模な空堀跡である。
■ 中郭
現在は果樹園となっている。
■ 空堀跡
中郭の西側の空堀跡。
■ 西郭
現在は館跡の西端に如法寺が位置しているが、どこまでが館跡であったのかは不明。
■ 如法寺
館跡西側に位置する。
■ 乙部川
館跡の南側を東から西に流れる。
天然の水堀の役割を果たしていたものと思われる。