■ 沿革
乙部館は斯波氏の家臣・乙部氏の居館である。館主の名としては乙部兵庫の名が伝わる。
主家である斯波氏滅亡後、乙部治部義説は2,000石の知行をもって南部氏に仕えた。
後に乙部館は南部信直によって福士左衛門尉に与えられたが、天正20年(1592)、豊臣秀吉の命により、他の南部氏の諸城と共に破却された。
■ 構成
乙部館は平山城であり、南側を乙部川が流れる丘陵地に位置する。
東西に分けて3つの郭に分かれており、それぞれが大きな空堀で区切られている。
■ 現況
現在、乙部館跡は宅地や果樹園となっているが、空堀跡が明瞭に残り、説明板や標柱が設けられている。
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■ 空堀跡
館跡東端の空堀跡。
この東側も郭跡なのかもしれない。 |
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■ 空堀跡
東郭と中郭を区切る空堀。
乙部館の中では最も大規模な空堀跡である。 |
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■ 西郭
現在は館跡の西端に如法寺が位置しているが、どこまでが館跡であったのかは不明。 |
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■ 乙部川
館跡の南側を東から西に流れる。
天然の水堀の役割を果たしていたものと思われる。 |
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