■ 沿革
白髭館はかつて崎山館とも呼ばれ、創建時期は不明であるが、古くは安部貞任の時代からの館であると思われる。
−白髭大明神の伝説−
天喜4年(1056)、前九年合戦において源頼義の家臣である源内という者が重傷を負い、崎山の地で保養していた。ある日、源内は崎山に突き出た岩の上で白髭の翁が釣り糸を垂らしているのに出会い、「我は近江国の白髭大明神である。この地は我が近江国の志賀の郷に似ており、大変気に入った」と伝えられた。
これにより、源内は村人らと協力して延久年間(1069〜73)、崎山に白髭大明神を勧請した。
後に白髭館と呼ばれるようになり、和賀氏の出城となって鬼柳蔵人義満が館主になったとされる。
しかし天正元年(1573)、南部氏一族である九戸政実によって攻め落とされた。
和賀氏滅亡後は破却されたものと思われる。
なお、館主は資料によって河原田源蔵であったともされる。
■ 構成
白髭館は北側の白髭館と南側の観音館の二つより成っている。
■ 現況
現在は白髭神社と墓地になっている。
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■ 南東側切岸
南側には鉄道が敷かれており、掘削され改変されているものと思われる。 |
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■ 白髭神社参道
画像左手は墓地、右手が白髭神社である。
当時はそれぞれ郭を形成していたものと思われる。 |
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■ 白髭神社入口
南側に面している。当時の虎口であったと思われる。 |
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■ 主郭
白髭神社境内である。
「亀石」「お手玉石」などが祀られている。 |
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■ 白髭神社北端
伝説ではここから白髭の翁が釣り糸を垂らしていた。 |
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■ 堀切跡
西側よりの登道となっているが、白髭神社と墓地との間の堀切となっている。 |
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■ 墓地
南端に位置し、物見を兼ねた郭であったと思われる。 |
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■ 本郷川
館跡の北側を流れる。
画像左手の崖が白髭館跡である。 |
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