■ 沿革
玉山館は河村氏の一族・玉山氏の居館である。
南部氏26代信直の時代、河村小三郎直秀が玉山村を与えられ、玉山館を築いて玉山氏を名乗った。ちなみに直秀の孫娘は南部氏29代・重信の正室となっている。
慶長2年(1597)、南部信直が盛岡城の築城に取掛かった際、玉山氏は盛岡に移り、玉山館は破却された。
■ 構成
玉山館は姫神山より延びる丘陵の先端に位置する。
大館・小館の二つの郭によって構成されており、南側に位置する大館は東西約70m×南北約105mの台形状となっている。
深い空堀を挟んで北側に小館が位置し、東西約25m×南北約40mの規模で楕円形状となっている。
■ 現況
現在、館跡は農地となっているが、郭部分は使用されておらず、遺構の保存状況は良好である。
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■ 街道跡
館跡の西側を通る。この先は姫神山に続いている。 |
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■ 堀跡
大手前の堀跡である。
現在は用水路となっているが、画像左側の敷地も堀跡であったようにも見える。 |
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■ 大手口
館跡の西側に位置し、標柱・説明板が設置されている。 |
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■ 大手道
大手道を登ると郭跡が見えてくる。
画像は大館である。 |
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■ 大手道
画像中央部の郭は小館。
空堀を挟んで反対側が大館である。 |
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■ 大館腰郭
大館外周に位置する腰郭である。
画像は大館東側。 |
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■ 小館
まったく整備されておらず、晩秋の頃にも拘らず物凄い藪である。 |
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