ときただて
時田館
時田館跡 標柱  訪問年月日  2003年6月21日 / 2010年5月30日
 別称  鴇田館
 所在地  岩手県北上市和賀町横川目19地割
 創築者  −
 主要城主  鴇田信濃守
 築城年  −
 廃城年  −
 様式  平山城
 構成  北郭・南郭・三ノ郭
 遺構  郭・堀
 設置・復原物  標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
時田館の沿革は定かではないが、この地は鎌倉時代に須々孫氏の祖とされる和賀景行に与えられた「室対郷」に該当すると思われる。
観応3年(正平7・1352)、須々孫行義は北朝方との戦いに敗れ、所領を本家の和賀氏に没収されている。その後、この地は他氏に与えられた形跡は無いので、和賀氏の所領として存続したものと考えられる。

また、時田(鴇田)某の居館であったとされ、和賀氏の家臣である鴇田信濃守の居館と推定される。


 ■ 構成
時田館は尻平川西岸の比高約10mの段丘上に位置し、東方に張り出した先端を堀で南北に区切って二つの郭とし、それらのさらに南にもう一郭を設けている。
規模は東西100m×南北200mであり、尻平川流域の城館の中では最大規模とされる。


 ■ 現況
現在、時田館跡は住宅地や丹内神社の境内となっている。

■ 館跡
県道37号線沿に位置する。
■ 堀跡か
現在は車道となっているが、当時は堀で区切られていたものと思われる。
■ 郭跡
南側の館跡である。現在は住宅地となっている。
■ 切岸
■ 東側切岸
東側は比高10m程度の段差となっている。