■ 沿革
時田館の沿革は定かではないが、この地は鎌倉時代に須々孫氏の祖とされる和賀景行に与えられた「室対郷」に該当すると思われる。
観応3年(正平7・1352)、須々孫行義は北朝方との戦いに敗れ、所領を本家の和賀氏に没収されている。その後、この地は他氏に与えられた形跡は無いので、和賀氏の所領として存続したものと考えられる。
また、時田(鴇田)某の居館であったとされ、和賀氏の家臣である鴇田信濃守の居館と推定される。
■ 構成
時田館は尻平川西岸の比高約10mの段丘上に位置し、東方に張り出した先端を堀で南北に区切って二つの郭とし、それらのさらに南にもう一郭を設けている。
規模は東西100m×南北200mであり、尻平川流域の城館の中では最大規模とされる。
■ 現況
現在、時田館跡は住宅地や丹内神社の境内となっている。
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■ 堀跡か
現在は車道となっているが、当時は堀で区切られていたものと思われる。 |
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■ 郭跡
南側の館跡である。現在は住宅地となっている。 |
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■ 東側切岸
東側は比高10m程度の段差となっている。 |
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