いわきりじょう
岩切城
岩切城 標柱  訪問年月日  05年7月17日 / 06年7月16日 / 08年3月21日
 別称  高森館・鴻の館
 所在地  宮城県仙台市宮城野区岩切字入山
 創築者  留守氏か
 主要城主  留守氏
 築城年  南北朝時代(1336〜1392)か
 廃城年  元亀年間(1570〜1573)
 様式  山城
 構成  西郭(一ノ丸・二ノ丸・三ノ丸)・東郭
 遺構  空堀・土塁
 設置・復原物  説明板・標柱
 文化財指定  国指定史跡
 ■ 沿革
岩切城は留守氏代々の居城である。

−伊沢氏から留守氏へ−
源頼朝による奥州合戦の後、文治年間(1185〜90)に伊沢将監家景は陸奥国留守職に任じられ、国府である多賀城近辺に居を構えて留守姓を名乗った。
留守職は鎌倉時代中期には形骸化したため、留守氏は一地頭に過ぎない存在となったが、この地方の有力武士である事に変わりは無かった。その様な中、争乱が激しくなっていった南北朝時代に、要害である岩切城が留守氏の居城となっていったものと思われる。

−騒乱の舞台へ−
元弘3年(1333)、鎌倉幕府が滅亡して建武の新政が始まった時、北畠顕家は義良親王を伴って陸奥守として多賀国府に入った。しかし僅か2年で南北朝時代に突入し、留守家任は当初は北畠顕家に従ったが、後に足利氏側に付くようになった。

貞和2年(1346)、足利尊氏は奥州管領として吉良貞家・畠山国氏の2人を多賀国府に下向させた。しかし尊氏は後に弟である直義と対立したため、尊氏側に畠山国氏・留守氏・宮城氏らが付き、直義側には吉良貞家・和賀氏・結城氏らが付いた。
この対立によって正平6年(1351)、岩切城は吉良側に攻められる事となる。岩切城には畠山氏・留守氏・宮城氏が立て籠もり、留守氏の余目城と連携して対応した。それに対し吉良側は、和賀氏が岩切城の太田口(地点不明)を固め、結城氏が余目城にあたって両城の連携を遮断し、岩切城に総攻撃をかけた。
その結果岩切城は落城し、畠山国氏以下郎党百余名が討たれた。畠山方に付いた留守氏も敗れて没落し、その所領は八幡氏や国分氏に侵食されていった。

−大崎氏と伊達氏の間で−
応永7年(1400)以降、大崎氏が奥州管領職を世襲するようになると、留守氏はその勢力の下で自己の勢力拡大に努めた。
だが伊達氏の勢力が北上してくると、留守氏は内部で大崎派と伊達派に別れ抗争にも発展したが、最終的には伊達派が勝利を収め、戦国時代には伊達氏から再三の入嗣を受け入れる事となった。特に伊達晴宗の三男である政景の入嗣の際は家中の抵抗も大きかった。
政景は村岡兵衛を中心とする反抗勢力を武力と懐柔をもって対応し、最終的には元亀元年(1570)、村岡氏を滅亡させると、村岡氏の居城であった村岡城(利府城)に居城を移し、岩切城は廃城となった。


 ■ 構成
岩切城は標高106mの高森山を中心に、そこから派生する尾根を平らに削って多くの郭を抱え、要所に空堀や土塁を構えている。城は中心の堀切に区切られて東と西に分かれている。

西郭の中心は高森山の頂部に位置する一ノ丸(本丸)であり、南北に細長く東西30m×南北70mの広さである。その東南に二ノ丸が、さらにその東南に三ノ丸が位置し、さながら三段構えの様を呈している。
おそらく岩切城の中枢的な部分であったであろう。

東郭は面積も広く郭数も多いが、平場が不定形で傾斜があるなど、あまり旧地形に手を加えられた形跡が無いため、築城時代が異なるものと思われる。


 ■ 現況
現在は高森山全体が「県民の森」として自然公園となっている。

■ 西郭入口
県民の森中腹に位置し、ここまで車で来ることができる。
すぐ隣りには説明板が設置されている。
■ 西郭堀切
西郭北西側の大堀切である。
■ 西郭堀切
西郭北側の堀切である。
■ 西郭西側
南北に細長く伸びている。
■ 西郭西側
下から望んだところ。
■ 西郭渓谷
南側より切れ込んでおり、そのため西郭は逆U字型になっている。
■ 西郭三ノ丸
西郭南端に位置する。
■ 西郭三ノ丸土塁
縁に土塁跡が残る。
■ 西郭二ノ丸
何段かの緩い段差が存在する。
■ 西郭一ノ丸南側入口
枡形が設けられている。
■ 西郭一ノ丸
西郭最高所にて最も広大な郭である。
■ 西郭一ノ丸西側郭
一ノ丸と堀切を隔てた西側に位置する。
■ 東郭遠望
■ 東西郭間
西郭より東郭跡へ向かう。
■ 東西郭間
堀切によって区切られている。
■ 東西郭間堀切
深く抉られている。
■ 東西郭間土橋跡
東郭側より望んだところ。
■ 東郭跡
所々段差が確認できるが、岩切城全体で最も広い。。
■ 東郭南端郭跡
東郭で一際高い段差が認められる。
■ 東郭南端郭跡頂部
物見の役割を果たしていたのであろうか。
■ 東郭東側へ
東側虎口へ向かう。
■ 東郭枡形虎口跡
堀切で区切られており、土橋で繋がれている。
■ 東郭枡形虎口跡堀切
土塁と堀切が存在している。
■ 東郭入口
石碑が建っている。
■ 西郭遠望
東郭からは見上げるかたちになる。