小堤城 標柱  訪問年月日  2007年4月30日
 別称  大雄寺館
 所在地  宮城県亘理郡亘理町字泉ヶ入
 創築者  ?
 主要城主  武石氏
 築城年  乾元元年(1302)頃か
 廃城年  ?
 様式  平城
 構成  −
 遺構  土塁
 設置・復原物  標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
小堤城は亘理郡を支配した武石氏の居城であるが、その創建については明らかではない。
武石氏は千葉常胤の子孫であり、乾元元年(1302)に武石宗胤が亘理の地に下向して以降、この地を支配した。後に暦応2年(1339)、広胤の代に武石氏は亘理氏を名乗り、近隣の伊達氏・国分氏・相馬氏と勢力を争ったが、室町時代の末期頃、宗元の代に伊達氏に臣従した。
その後、天正年間(1573〜92)の元宗・重宗父子の頃、小堤城の東方に新たに亘理城を築いて居城を移したものと思われる。

慶長8年(1603)、伊達成実が亘理に移封されると、翌慶長9年(1604)に小堤城跡には後の亘理伊達氏の菩提寺である大雄寺が移された。


 ■ 構成
小堤城は亘理町の中心部より南西1.7kmの地にあり、周囲より15m程高い丘陵地に位置している。
北側を渓谷、南側は断崖で囲まれている。丘陵の中心部に平場を設け、周囲を高さ2m程の土塁が長方形城にめぐっている単郭式の城館であった。


 ■ 現況
現在は大雄寺の敷地内が城跡となっている。

■ 山門
文政年間(1818〜30)の建築といわれる。
■ 山門遠望
郭の跡であろうか。
■ 大雄寺境内
かつての城域であった。
■ 駐車場
城域の中心部かと思われる。
■ 伊達実元・成実・実氏廟所
城跡の南側に位置する。
■ 南側土塁跡
墓地の一角となっている。
■ 南東側土塁跡
大規模な土塁が続く。
■ 南側外周
段差が確認できる。
■ 山門正面の道
かつての大手口であろうか。





こづつみじょう
小堤城