こおりじょう
桑折城
桑折城 標柱  訪問年月日  2005年7月17日
 別称  鶴館
 所在地  宮城県大崎市三本木桑折
 創築者  ?
 主要城主  渋谷氏
 築城年  ?
 廃城年  天正18年(1590)
 様式  山城
 構成  北郭・南郭
 遺構  郭・空堀・土橋
 設置・復原物  説明板・標柱
 文化財指定  −
 ■ 沿革
桑折城の築城は明らかではないが、大崎氏家臣である渋谷相模守が天文年間(1533〜52)から天正年間(1573〜1592)にかけて居城していた。

天正16年(1588)に大崎合戦で大崎氏と伊達氏が争った際、桑折城は大崎方の重要拠点となった。この合戦において渋谷相模守の甥である黒川晴氏は、大崎氏の本城である中新田城を守るべく桑折城に入城した。結果、晴氏は伊達軍を撃退し、大崎氏優位で和議が成立した。

天正18年(1590)に豊臣秀吉の奥羽仕置において大崎氏の所領は没収となり、同時に桑折城も廃城となった。


 ■ 構成
桑折城は標高約60mで、東西方向に長い南北二つの郭に存在する。
北郭は東西400m×南北100m程の面積であり、この郭の北東が本丸であると思われる。
南郭は2ヶ所の堀切によって北郭と分断されている。


 ■ 現況
現在は公園として整備されている。

■ 鳴瀬川
城の北側を流れている。
■ 入口
城の北西側である。
■ 空堀跡
幅3〜4mはあろうか。
■ 土橋
上記画像の空堀を繋ぐ土橋である。
■ 主郭へ続く道
細長い郭の様である。
■ 主郭跡
城の北東側に位置する。
■ 主郭腰郭か
主郭より一段低い郭が存在する。
■ 主郭北側
幾段かの段差が確認できる。奥の一番高い郭が主郭である。
■ 下の郭
上記画像の下の郭である。
■ 崖
左手の傾斜が郭、右手は崖である。
■ 遠望
北側より望んだところ。