まつもりじょう
松森城
松森城 標柱  訪問年月日  2005年7月17日
 別称  鶴ヶ城・鶴館・乙森城
 所在地  宮城県仙台市泉区松森字内町
 創築者  国分盛顕
 主要城主  国分氏・伊達氏
 築城年  −
 廃城年  −
 様式  山城
 構成  本丸・二ノ丸
 遺構  郭・空堀・土塁
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
松森城は国分氏の居城として国分氏17代盛重が小泉より移り住み、天正年間(1573〜92)まで在城したといわれる。

松森城が記録に初めて出てくるのは天文6年(1537)、国分氏と留守氏の合戦においてである。
天文11年(1542)、天文の乱において伊達稙宗・晴宗父子が争うと、晴宗方には留守景宗が、稙宗方には国分能登守宗政が付くことになった。そのため留守氏の岩切城と国分氏の松森城が対峙し、留守景宗は松森城に攻め入っている。
その後国分氏は伊達氏に臣従することになり、伊達晴宗の五男である盛重が国分氏に入嗣した。しかし天正15年(1587)、盛重は伊達政宗により追放され、国分氏の所領は伊達氏の直轄となると、松森城は大崎氏に対する拠点として重要視され、石母田左衛門慰景頼が在城した。後に景頼に代わり、北目城主である粟野大膳宗国と助太郎国治の兄弟が在城した。

江戸時代に入ると仙台藩の正月行事である「野初」の舞台となった。


 ■ 構成
標高90mの丘陵上の頂部に存在する平場で、本丸と二ノ丸から構成されている。
本丸は東側の高い平場であり、東西50m×南北100mの規模である。南西端に虎口が存在する。
二ノ丸は西側に位置し東西60m×南北70mである。この二ノ丸には城主が盛重の時代に家臣の高平大学が住んでいたといわれる。


 ■ 現況
現在本丸は公園として整備され、二ノ丸は雑木林となっている。

■ 入口
この先上まで車で登って行くことが出来る。
■ 登口
右手が本丸への道。左手が二ノ丸であるが雑木林となっている。
■ 登道
上記画像から振り返って見たところ。右手の斜面は本丸の崖。
■ 本丸入口
枡形のような曲道である。
■ 本丸跡
頂部に位置する。
■ 本丸からの眺望
南側を望んだところ。煙突のある建物は松森工場(ごみ焼却)。
■ 東側郭
本丸からよく見える。
■ 東側郭
本丸より一回り程度狭い。
■ 東側眺望
上記郭から望んだところ。奥の山は岩切城のある高森山である。
■ 航空写真
説明板より。確かに鶴っぽく見える。