■ 沿革
大衡城は黒川下総守景氏の次子である大衡治部大輔宗氏が天文13年(1544)に築城した。
天正18年(1590)、大衡城主黒川治部氏胤の代に主家である大崎氏が豊臣秀吉の奥羽仕置において所領を没収され滅亡し、大衡城も廃城となった。
−白米伝説−
葛西大崎一揆の際、一揆勢がこの城に立て篭もりったために伊達政宗がこれを攻めた。
遠目にはこの城に滝が見えて近寄り難かったのだが、滝に雀が群がってくるのが見え、この滝が実は白米であった事が分かりついに攻め落とされたという。
■ 構成
標高約40mの丘陵上に位置し、頂部の平場が本丸であった。本丸は東西40m×南北100mの面積であり、本丸の裏には二ノ丸・三ノ丸が存在した。大手口は南側に存在していた。
■ 現況
現在は本丸跡に天守を模したような建造物が建っている。
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■ 土塁跡
登って行くとこの様に所々土塁が見られる。 |
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■ 腰郭か
さらに登って行くと南側に腰郭のようなスペースが見受けられる。 |
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■ 本丸跡入口
ここまで登ってきたが、実は別ルートより車で登って来れる。 |
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■ 本丸跡
画像には写っていないが、天守風の建造物が建っている。 |
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■ 本丸南側土塁
天守風の建物が建っている。
日本城郭大系では「ドライブイン」とし、他のサイトでは「旅館」「自衛隊の宿舎」など諸説あるが
私が中を覗いた限りでは村の研修施設のような・・・
最近(2005年7月現在)ではあまり使用された形跡がない様子。 |
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■ 西側標柱
住宅街入口になっているが標柱が建っている。 |
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