とみざわだて
富沢館
富沢館跡 遠望  訪問年月日  2005年7月16日
 別称  −
 所在地  宮城県仙台市太白区富沢字舘
 創築者  −
 主要城主  富沢氏・山岸肥前宗成・入生田氏
 築城年  −
 廃城年  −
 様式  平城
 構成  内郭・外郭
 遺構  土塁・水堀跡
 設置・復原物  −
 文化財指定  −
 ■ 沿革
富沢館の創建は不明である。
伝承では粟野氏家臣である富沢伊賀守が居城していたといわれる。富沢伊賀守は伊達氏との合戦において討死したといわれているが、それを示す資料は存在していない。

「伊達正統世継考」天文6年(1537)に「富沢邑(むら)、名取郡にあり 山岸肥前宗成居住」とあるため、戦国時代には山岸氏が富沢周辺を支配していたことが分かる。恐らく富沢館に居住していたものと思われる。
後に山岸氏は入生田氏を名乗り、代々この館に居住することになる。祖は清康で、その子である三右衛門元康は寛永13年(1636)に伊達政宗に殉死した。現在富沢館跡の中央部に屋敷を構える入生田氏はその子孫である。

ちなみに「宮城県史料展覧会誌」(大正14年)の目録に入生田家出品の「富沢館記(折紙)」というものが記載されていたようである。


 ■ 構成
水堀と土塁に囲まれた方形の平城である。
館跡の中心部は標高14.5mで土塁の一部と水堀跡が見られる。外郭線として幅45mもある大規模な水堀があり、これも含めると館全体の規模は東西370m×南北300mにもなる。この水堀の内側に2本の土塁が巡り、内郭と外郭で構成されている。


 ■ 現況
現在はほとんど水田や宅地化され、標柱や説明板も無いため非常に判別が難しい。
■ 富沢館遠望
水田の真中に住宅と繁みが見える。おそらくそこが主郭跡か。
画像中央部に見える山は太白山。
■ 富沢館遠望2
上記の画像から右に移動したもの。
宅地の土台に土塁の様なものが見えるが現代のものかもしれない。
■ 鍛冶屋敷跡
館跡の南側にこの様な大きな道路が通っている。
詳細は不明だが、交差点左手の林のあたりが「鍛冶屋敷」という地名になっている。
■ 笊川
館跡の北部に流れる川。
往時は防御手段の一つであったかもしれない。

■ 町内地図
富沢館は標柱も説明板も無いため、資料とこの地図で判断するしかない。
それでもこの地図はかなり詳細な字が記されているため想定しやすい。あくまで素人目での想定だが・・・