おうらじょう
尾浦城
尾浦城 遠望  訪問年月日  2003年7月20日 / 2007年12月22日
 別称  大山城
 所在地  山形県鶴岡市大山字城山
 創築者  大宝寺氏
 主要城主  大宝寺氏・東禅寺氏・下氏・大山氏・その他
 築城年  鎌倉時代初期か
 廃城年  元和元年(1615)
 様式  山城
 構成  主郭・副郭・二ノ丸・三ノ丸・諸郭
 遺構  郭・土塁・空堀
 設置・復原物  石碑・地図
 文化財指定  −
 ■ 沿革
尾浦城は鎌倉時代初期に築かれたとされるが、詳細は明らかではない。
戦国時代、庄内地方に勢力を持っていた大宝寺氏は、一族の砂越氏の反抗に手を焼いていた。
その最中、天文元年(1533)には砂越氏維の攻撃によって居城の大宝寺城が焼き払われた。そこで天文年間(1532〜55)に大宝寺晴時は居城を鶴岡市北西約5.5kmの尾浦城に移した。尾浦城は平城であった大宝寺城に比べ天然の要害であり、こうして大宝寺氏は尾浦城を拠点として庄内地方の覇権を握ろうとした。

−庄内地方の覇権−
この頃より大宝寺氏は家臣の反乱に加え、最上氏の庄内侵攻に悩まされるようになる。そこで大宝寺義氏は織田信長に貢物を献上し、誼を通じようとした。これにより信長からは屋形号を許されるまでになった。
しかし、天正10年(1582)に信長が本能寺において自害すると、義氏は重臣の東禅寺筑前守義長によって天正11年(1583)に暗殺された。大宝寺氏の名跡は急遽、義氏の弟である義興が継ぎ、義興は越後国の本庄氏を頼って本庄繁長の二男・千勝丸を養子とした。
天正15年(1587)、東禅寺義長は最上義光と共に大宝寺氏を攻撃した。この結果、尾浦城は落城し、義興は自刃して果てた(一説には助命され、山形に連行された)。その後は東禅寺氏の居城となっている。しかし大宝寺義勝と名乗っていた千勝丸は辛くも逃れ、実父である繁長の元へ逃げ延びた。こうして庄内地方は最上氏の支配下となり、義光は中山玄蕃頭朝正(光直)を尾浦城城代とした。

−十五里原合戦−
翌・天正16年(1588)、本庄繁長と義勝は小国口から鬼坂峠を越えて庄内地方へ侵攻した。本庄勢は菅野代館や関根城・清水城をはじめ諸城を次々と落とし、尾浦城に迫った。これに対し東禅寺義長は弟の東禅寺右馬頭勝正を総大将として迎撃させ、尾浦城下の十五里ヶ原で両軍は激突した。しかし数で劣る東禅寺勢は苦戦を強いられ、結果東禅寺勢は敗走した。その最中、勝正は自ら本庄勢に斬込み、繁長に一太刀浴びせたが目的を達せずに最期を遂げた。
合戦後、義勝は義興の跡を継ぎ大宝寺氏を再興したが、天正19年(1589)、一揆煽動の嫌疑をかけられ、豊臣秀吉の命により大和国へ配流された。

−上杉氏から最上氏へ−
その後、庄内地方は上杉景勝の領地となった。しかし慶長5年(1600)、関ヶ原合戦において西軍側に与した上杉氏は最上勢に攻められ、再び尾浦城は落城した。
戦後、庄内地方は最上義光の領地となり、慶長6年(1601)には家臣の下治右衛門吉忠を配置して田川郡の抑えとした。吉忠はこの際に尾浦城を大山城と改称し、山頂に本丸を置いたものの大きな建物は設けず、主要な施設は麓に設けた。

元和元年(1615)、最上家親の弟である大山筑前守が2万石を与えられたが、この年の11月に江戸幕府による一国一城令によって大山城は廃城となった。
最上氏は元和8年(1622)に改易となり、庄内地方の大部分は酒井氏の所領となった。酒井氏の時代、大山城には酒井氏の分家や代官が置かれた。


 ■ 構成
庄内平野の南半部西縁にそびえる標高273.8mの高館山から平野部に細長く突き出た丘陵の先端に位置している。
中心に位置する主郭は方形であり、西端には土塁が設けられている。
主郭の西側には大堀切を隔てて副郭が位置し、周囲に無数の郭を設けている。東麓および南麓には「御堀」と呼ばれる水堀に囲まれた二ノ丸および三ノ丸により城下町が整備されており、三ノ丸跡には御馬出道・殿町・御徒町・足軽町などの地名が残る。


 ■ 現況
現在は講演とし整備されており、各郭には神社が祀られている。

■ 南西側入口
南西側入口である。
■ 切岸
かなりの規模である。
■ 西郭跡か
東西に細長い。
■ 新山森
西郭と副郭の中間に位置している高台である。
■ 忠魂碑
新山森頂部に位置する。
■ 副郭跡
かつては隠居所が設けられていた。
現在は古峰神社が祀られており、展望台が設けられている。
■ 下沼
尾浦城北側に位置する。
■ 主郭西側空堀
幅4〜5m程度の大規模な空堀が存在する。
■ 大古橋
主郭と副郭を結ぶ橋。
■ 主郭跡
城の中心部に位置する。
現在は三吉神社が祀られている。
■ 主郭西側土塁
空堀に面している部分に土塁が残っている。
■ 東郭跡か
東端に位置する。
■ 厩跡
三吉神社の鳥居が建つ。
■ 南側入口