■ 沿革
蓬田城は嘉禎4年(暦仁元・1238年)に築かれ、安東盛季の弟・潮潟四郎通貞が居城にしたとされる。
後にこの地が南部氏の領有となると、城主として奥瀬建助の名が伝わる。
さらに後の文明年間(1469〜87)には、平将門の8代後を名乗る相馬佐伝四郎則政が安東氏の庇護の下に城主となり、蓬田越前守則政と名乗った。
天正13年(1585)、津軽為信の侵攻により蓬田城は油川城と共に落城し、蓬田氏は南部に逃れた。
これ以降、蓬田城は廃城になったものと思われる。
■ 構成
蓬田城は大館と小館に分かれている。当初は小館が運用されたが、南北朝時代から室町時代頃に大館に移ったものと見られる。
大館の面積は10万uの大規模なものであり、大きく分けて3つの郭が存在し、北と南東に堀が存在していた。
北側の堀は長さ約300m・幅15〜20m・深さ3mの大規模なものであり、南東側の堀は長さ50m・幅2m・深さ50cmの規模であった。
■ 現況
現在、大館跡は八幡宮・弁天堂が祀られており、土塁・堀跡・土橋などの遺構が残っている。
小館には一部土塁跡と思われる遺構が残っている。
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■ 北側堀跡
画像では草に覆われて分かりづらいが、この位置から見た堀跡が最も大きい。 |
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■ 弁天堂入口
一部空堀と思われる段差が存在する。 |
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■ 弁天堂
大館の中心であったと思われる。かつての館神であったとされる。 |
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■ 小館跡遠望
小館跡は大館跡の南方約1kmほど離れた場所に位置する。 |
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■ 小館土塁跡
小館跡には標柱・説明板などの案内が全く無い。
一部土塁跡と思われる遺構が残っている。 |
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