■ 沿革
長友館は岩城氏本流発祥の地として重要な位置を占める城館である。
創建時期は不明であり、城主としては長友弾正清春の名が伝わるが、この長友氏は恐らく岩城氏の一族と思われる。
15世紀中頃、岩城氏の庶流である岩城下総守隆忠は磐城地方を手中にし、拠点を長友館から白土城に移したとされる。
■ 構成
仁井田川右岸に岬状に突出した丘陵上に位置し、各域に曲輪を配している。
東端に位置する長隆寺・大宮神社から西端は水品神社まで広大な館域であり、全てが同時期に運用されていたとは考えにくいため、時代を経て徐々に館域を拡大・移動していたものと推測される。
主郭は『大塚』と称される山頂部(標高89.8m)に位置し、北側と西側に4mの高さの土塁を配している。
その南側は家臣の居住地が位置していたと想定される。
さらにその東方の標高90m級の尾根には物見と思われる郭が位置し、東端の長隆寺・大宮神社周辺には曲輪跡・空堀跡が残る。
■ 現況
館域東端の長隆寺・大宮神社周辺や西端の水品神社周辺には曲輪・空堀・土塁などの遺構が残るがその他全域の大部分が藪化しており、探索は難儀である。
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■ 長隆寺北端
竪堀状の隆起が存在するが、後世の改変かは不明。 |
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■ 長隆寺墓地
郭の一部と推定される。
北西端には土塁と思わしき遺構が残る。 |
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■ 長隆寺墓地西側裏
麓の民家より墓地裏まで空堀が数十m続く。 |
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■ 社
上記空堀脇に祀られている無名の社。
館神のような存在だったのかもしれない。 |
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■ 大宮神社
土塁か物見と思わしき土盛が存在する。 |
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