■ 沿革
館主・沿革等の詳細は不明である。
近接する殿田館、屹館との関連性を想定されるが、運用時期に関して中山雅弘氏によると
匠番柵館(14世紀代) ⇒ 殿田館(14〜15世紀代) ⇒ 屹館(15世紀代)とそれぞれ異なると推測されるという。
宝徳3年(1451)の岩城清隆が小峯氏に宛てた書状によると、同年に清隆の所領である長井の地を(差塩含む)一族の好島(好間・よしま)氏から白川氏の一族である小峯氏に与えたのだが、この地の百姓はまだ居座っている事、新領主である小峯氏もまだ現地を確認出来ていない事が垣間見える。
このように、差塩の城館群は平時における居館・戦時における詰城の役割の他、領主の変遷による百姓の逃亡・抵抗に対応する性格を有していると推察される。
■ 構成
標高514m、比高30mの丘陵上部に位置し、低い土塁に囲まれた方形状の主郭を中心として周囲に腰郭を配している。主郭の東南隅には凸状の平場が設けられ、南西隅には虎口のような土塁の切れ目を設けられており、南側から登ってくる道に接続していた可能性がある。
主郭の面積は東西30〜50m×南北60mの規模であり、土塁の規模は底幅1.2〜1.5m、高さ20p〜50p程度で東側を除いた南側・西側・北側を囲んでいる。この土塁は表土に直接黒褐色土を盛土したのみで版築されておらず、跨ぐことが出来る程度の脆弱なものである。
■ 現況
磐越自動車道の敷設により北側の一部は破壊され、西側の土塁は藪化により判然としない。
南側の土塁は比較的良好に残っている。
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■ 入口
南側からの入口.。登道は後世の改変かと思われる。 |
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■ 登道
南側より登道が続いている。画像は主郭方面より見下ろしたところ。 |
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■ 主郭南西側虎口
主郭南西側に土塁の切れ目があり、虎口となっている。 |
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■ 主郭跡
東西30〜50m×南北60mの規模で、東側以外の三方を土塁で囲まれている。 |
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■ 主郭南側 土塁
南側の土塁が最も明瞭に残っている。規模は底幅1.2〜1.5m、高さ20p〜50p程度。
画像右側が主郭、土塁外側である画像左端は腰郭。 |
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■ 主郭南側腰郭
南側土塁の外側に位置する腰郭。
画像左側が主郭である。 |
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■ 主郭南東隅
主郭南東隅に位置する張り出し部分。 |
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■ 主郭北側
かつて北側にも土塁が設けられていたが、現在は磐越自動車道建設のため破壊されている。 |
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■ 主郭西側
西側も土塁が設けられているが、藪化が激しく判然としない。 |
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