たなぐらじょう
棚倉城
棚倉城 内堀  訪問年月日  2006年5月4日
 別称  亀ヶ城
 所在地  福島県東白川郡棚倉町大字棚倉城跡
 創築者  丹羽長重
 主要城主  丹羽氏・内藤氏・太田氏・その他
 築城年  寛永元年(1624)
 廃城年  慶応4年(1868)
 様式  平城
 構成  本丸・二ノ丸・三ノ丸
 遺構  土塁・空堀・石垣
 設置・復原物  説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
従来、棚倉地方の中心となった城は棚倉城の北西1.5km離れた赤館であった。赤館は蘆名氏・佐竹氏・結城氏・石川氏・田村氏・岩城氏ら近隣緒大名の争奪戦の場ともなっていた。

慶長7年(1602)、関ヶ原合戦後に徳川家康は水戸の佐竹義宣を秋田に移した。その替わり水戸には松平康重を置き、棚倉地方には彦坂元正を代官として任命した。さらに元正は貴志五郎助を派遣して実際の政務を担当させた。
慶長8年(1603)、立花宗茂が1万石で棚倉を与えられ、初めは寺山館に入ったが、慶長15年(1610)、2万石に加増されて赤館に入った。元和6年(1620)、宗茂は旧領の柳川に転封され九州に移動した。
その後赤館には幕府から代官が置かれた。

−棚倉城の築城−
元和8年(1622)には5万石で丹羽長重に与えられ、長重は幕命により新しい城を築く事となった。
そこで長重は領内にある都々古和気神社の境内を選定し、寛永元年(1624)神社を馬場に移してこの地に棚倉城を築城した。
その後寛永4年(1627)、長重は白河に転封され、その後は城主が目まぐるしく替わったが、最後の城主である阿倍正静の時の慶応4年(1868)、戊辰戦争で新政府軍の攻撃により落城した。


元和8年(1622) 寛永4年(1627) 丹羽氏 5万石
寛永4年(1627) 宝永2年(1705) 内藤氏 5万石
宝永2年(1705) 享保13年(1728) 太田氏 5万石
享保13年(1728) 延享3年(1746) 松平氏 5万4千石
延享3年(1746) 文化14年(1817) 小笠原氏 4万石
文化14年(1817) 天保7年(1836) 井上氏 6万石
天保7年(1836) 慶応2年(1866) 松平氏 6万石
慶応2年(1866) 慶応4年(1868) 阿部氏 10万石


 ■ 構成
棚倉城は標高375m、総面積72,270mという大規模な城である。
輪郭式で台地の中央西寄りに本丸が位置していた。本丸は内堀と土塁に囲まれており、土塁上には櫓が5基存在した。北と東南に門があっていずれも枡形が設けられ、追手門は東南側で一ノ門・二ノ門が存在していた。
二ノ丸は本丸を囲んでおり、東西南北に門があって東側が追手門になっていた。二ノ丸は外堀で囲まれており、南と東南に突出部があって櫓が設けられていた。
三ノ丸は北西に位置し、林曲輪とも呼ばれていた。


 ■ 現況
現在は本丸が亀ヶ城公園として春には桜の名所になっている。

■ 棚倉町 商店街
棚倉城の東側にあたる。
■ 入口
商店街からの入口である。ここから二ノ丸大手門に続いている。
■ 二ノ丸追手門跡
平成17年(2005)の発掘調査で所在が判明、礎石6基が発見された。
追手門は礎石の配置から脇戸と脇塀を持つ高麗門と想定される。現在礎石は保存のために埋め戻されている。
■ 大ケヤキ
二ノ丸追手門と本丸追手門跡の間にある樹齢が約600年弱といわれている大ケヤキである。
棚倉城築城の頃から見続けていたことに・・・
■ 本丸跡内堀 東側
二ノ丸大手門から本丸へ向かう右側からの眺望。幅20mはあろうか。
■ 本丸跡内堀 南側
上記の反対側の眺望。
■ 本丸追手門一ノ門跡
ここに一ノ門が存在し、右側に曲がる枡形になっている。画像右手の土塁上には櫓が築かれていたようだ。
■ 本丸追手門二ノ門跡
本丸一ノ門を抜けて右に曲がったこの位置に二ノ門が存在した。
高さ11m程の櫓門であった。
■ 本丸跡
かつてここに本丸屋敷が存在した。
現在はちょっぴり天守閣を意識したような外見の中央公民館・町立図書館が建っている。
■ 本丸跡
本丸屋敷跡から二ノ門跡を望んだところ。
■ 本丸跡土塁 南側
本丸二ノ門脇から登った本丸南側の土塁上である。
■ 本丸南西 隅櫓跡
上記画像奥の本丸南西隅の土塁上である。
かつてここに二層隅櫓が存在した。
■ 本丸跡土塁 西側
上記画像の南西隅櫓から北側を望んだところ。
本丸西側の土塁上である。
■ 本丸北西 隅櫓跡
上記画像奥に位置する本丸北西隅の土塁上である。
ここにも二層隅櫓が存在した。
■ 本丸北二ノ門跡
一旦土塁は切れる。画像左側に、北門の内側の門にあたる北二ノ門が存在した。
右側に通じる道は土塁へ登る道である。
■ 北二ノ門 櫓門跡
北二ノ門も枡形となっており、櫓門が存在した。
■ 本丸北門跡
北一ノ門にあたる。
■ 本丸北東 隅櫓跡
本丸北東隅の土塁上である。ここに二層の隅櫓が存在した。
■ 本丸跡土塁 東側
本丸東側の土塁上にのみ多聞が設けられていた。
■ 二ノ丸西側
二ノ丸の西側一部には石垣が存在していた。
■ 地図