■ 沿革
下田館は川村氏の一族・下田氏の居館である。
南部氏26代信直の時代、川村氏の一族である弥三郎秀祐が下田の地を与えられ、下田館を築いて下田氏を名乗った。他の館主の名は内記秀邑、清乃丞秀勝らの名が伝わる。
天正20年(1592)、豊臣秀吉の諸城破却令により破却された。
■ 構成
下田館は東側に北上川、北側に松川、西側から南側にかけて生出川、と三方を河川に囲まれ、天然の地形を利用した要害の地に位置している。
不整型な2郭によって構成されており、南北にかけて北郭と南郭に別れている。
北郭は東西約100m×南北約50mの規模である。底幅約8mの空堀を隔てた南郭は東西約100m×南北約200mという大規模なものであり、北側から中央部に掛けてやや高くなっている。
■ 現況
現在、北郭跡は稲荷神社の敷地になっている。
南郭跡は一部が帰雲寺の墓地となっているが、それ以外の部分は使用されておらず、遺構は比較的良好である。
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■ 北郭入口
道路沿いの説明板脇に位置する神社入口である。
恐らく後世の改変のものと思われる。 |
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■ 北側堀跡
道路外側の農地部分も堀跡であったとされる。 |
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■ 北郭土塁跡
北郭南側に残る土塁跡。
この土塁の向こうは空堀である。 |
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■ 北郭・南郭間空堀
画像右側が北郭、左側が南郭である。 |
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■ 北郭・南郭間空堀
上記画像より東側に進捗した部分。現在は墓地となっている。 |
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■ 南郭
東端に位置する。
この部分だけさらに一段低くなっており、何かしらの施設があったことを連想させる。 |
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