冥護山館 横堀群  訪問年月日  2023年5月4日 / 2025年2月1日・2日
 別称  明子山城
 所在地  宮城県伊具郡丸森町大内字伊手
 創築者  相馬氏
 主要城主  相馬氏・伊達氏
 築城年  16世紀中頃
 廃城年  不明
 様式  山城
 構成  主郭・その他郭
 遺構  郭・空堀・虎口
 設置・復原物  標柱・説明板
 文化財指定  −
 ■ 沿革
冥護山館は相馬氏と伊達氏の抗争において、両者の領土の境目に築かれた陣城である。
隣接する西山館と同一の機能を持っていたものと推察される。

−相馬氏と伊達氏の抗争−
永禄8年(1565)、伊具郡の丸森城において伊達稙宗が死去すると、その後の伊具郡の領有を巡って相馬氏・伊達氏との間で抗争が勃発した。
天正9年(1581)4月、相馬氏配下の小斎城主・佐藤宮内為信が相馬氏から離反し、小斎城ごと伊達氏に寝返る事件が起こった。この一件を受け、伊達輝宗は相馬領攻撃のため小斎城に近接する矢野目に陣を敷いたため、これに対し相馬義胤は丸森城・金山城と、その中間に位置する冥護山に陣城を構えた。この陣城は冥護山館に隣接する西山館と推察される。

−伊達氏の伊具郡領有−
天正10年(1582)4月、伊具郡は伊達氏の支配下となっていたが、再び両者の抗争が勃発した。伊達氏は冥護山に陣城を築き、それに対し相馬氏は大内村に陣城を築いたという。この伊達氏が築いた陣城が冥護山館であり、相馬氏が築いた陣城が陣林館である。
この抗争は天正12年(1584)、伊達氏が引き続き伊具郡を領有する形で収束し、やがて冥護山館・西山館も廃城になったものと思われる。
以後、伊具郡は幕末まで伊達氏の支配下にあった。


 ■ 構成
比高20m程度の丘陵上に位置し、小斎城とは峰続きで南側の相馬領へ踏み込んだ場所にある。
主郭は山頂に位置し、南面を除く三方を切り立った断崖で囲んでいる。 主郭の規模は東西50m×南北150mで南北に長く、大きく3つに分かれている。
主郭の南東側には数段の曲輪を配し、南側に複数の横堀を設けている。


 ■ 現況
現在公園として整備されているが、曲輪・横堀・虎口などの遺構は良好に残る。
冥護山館の西に隣接する西山館は近年、雑木林伐採により破壊されている。

■ 冥護山館 説明板
南側に隣接する墓地に説明板が設置されている。
■ 冥護山館 標柱
南側入口に設置された標柱
■ 横堀T
館域南側の外側に位置する横堀。
■ 横堀U
上記「横堀T」の北側(内側)に配されている。
■ 横堀V
上記「横堀U」の東側に延長するように伸びている。
■ 横堀W
上記「横堀V」の北側(内側)に位置する。画像左側はV郭の南端部である。
■ 横堀V・W
二重空堀の体を成している。
■ 横堀X
主郭西側に南北へ伸びる横堀。大手口から主郭虎口へ続いている。
往時は堀底道であったのかもしれない。
■ 横堀X
幅約5〜6m程の大規模な空堀が続く。
■ 横堀X脇の土塁
横堀Xの西側に配された土塁。
■ 横堀X脇の堀切
上記の土塁を分断する堀切。
■ 横堀X脇の堀切
西側斜面へ伸びている。
■ 主郭登道
横堀Xの北の延長上に主郭への登道が続いている。
■ 主郭虎口へ
登道の頂部。
登りきると画像左側(北側)が主郭へ、画像右側(南側)がU郭へ続いている。
■ 主郭虎口への続く土橋
土橋で繋がっている。
■ 主郭虎口
主郭南側に位置する虎口。
東側は切岸に、西側は土檀状になっている。
 
■ 主郭虎口
内側から望む。
東側にも同様に土塁が配されている。
 
■ 主郭
北端の郭。現在は説明板が設置され、公園として整備されている。
■ 主郭
南北に細長く、南側と北側に虎口を設けている。
■ 主郭土塁
主郭西側縁の土塁跡。
東側にも同様に土塁が配されている。
■ 主郭からの眺望
北側を望む。
■ 主郭北側虎口
X郭や西山館へ続く虎口跡。
■ X郭
主郭の存在する丘陵上の東北部に独立して設けられた郭。
■ X郭頂部
面積は数m四方程度の小さな曲輪である。
■ X郭東側土塁
高さ1m程度の土塁が東側に設けられている。
■ X郭東側堀切
X郭の東側土塁の外側に設けられた堀切。
■ X郭からの主郭を望む
北東側の遠望。
■ W郭
主郭西側に位置する曲輪。
画像左側は主郭西側の切岸。
■ U郭
主郭南側に位置する。
■ V郭
U郭の南東側に位置する。
虎口曲輪の役割を持ち、南西側の虎口からすぐに左側へ急角度に折れる形で方向転換させる構造となっている。
■ V郭北側
U郭へ続いている。
■ V郭虎口
南西側から登る陽に設けられた虎口。
■ 西山館
冥護山館の西方に位置する。
現在は遺構が破壊されてしまっている。





みょうごやまだて
冥護山館