■ 有屋峠探訪 その1


現在の秋田県と山形県は、院内峠を通る国道13号線によって繋がっている。これはかつての羽州街道とほぼ同じコースを辿っている。しかし、このルートは江戸時代に常陸国より入部した佐竹氏が敷設したものであった。それでは佐竹氏が院内に街道を通す以前は、どこを経由していたのであろうか。

それは院内峠の東側、山形県最上郡金山町有屋を起点とし、黒森(標高1,058m)と水晶森(標高1,097m)の鞍部(標高934m)を通り
秋田県湯沢市秋ノ宮薄久内へ抜けるルートであった。しかし、この街道はあまりにも急峻で不便だったため、院内峠の開通と共に廃道となったといわれる。

この有屋峠は天正年間(1573〜93)に、小野寺氏と最上氏が激突した有屋峠合戦が繰広げられた地であり、慶応4年(1868)の戊辰戦争の際にも旧幕府軍側が有屋峠を越えて秋田県側に進入し、麓の中村・寺沢地区を襲撃するなど、軍事的にも要衝の地であった。

青い線が旧羽州街道である。院内峠を通過するルートであり、現在の国道13号線とほぼ変わっていない。
一方、赤い線がかつての有屋峠街道であるが、近年、さらに北側に位置するルートが街道であったという説が浮上している。
これは従来の有屋峠街道があまりにも急峻であり、主要街道として捉えるのには不都合な面が出て来るためである。

昨年頃より、新聞等で有屋峠の新説ルートが頻繁に取扱われている。急峻で手狭な定説の山道に対し、新説ルートは緩やかで馬も通過可能なほど道幅もあるという。2010年6月にも新説有屋峠を歩くイベントが実施されたが、それに参加出来なかった私は無謀にも単独で定説の有屋峠の侵攻を図った。

それは7月のクソ暑い3連休初日であった。
「みちのくのアルプス」とも称される有屋峠、果たしてT山は無事に生還できるのであろうか…








午前4時過ぎの秋田市横山金足線。

まだ薄暗い。

とりあえず出発。









山形県へ突入、金山町へ入る。

秋田県側は天候が良かったが、晴天の横手市から湯沢市を経て
山形県側に入ると、天候はいきなりこんな感じ。









有屋峠方面を望む。

僅かに覗く青空に否が応でも期待がかかる。









平成5年(1993)に竣工された神室ダムへ。

ここまで来るとすっかり青空に。










神室ダムに架かる「神室大橋」を越えると道は二手に分かれる。

右側の道を行くと神室山(標高1,365m)へ至り、左側へ行く道が有屋峠への道である。
早速左折すると…









すぐに怪しい看板と柵によって半分塞がれた道。

イヤな予感が…









なんですとぉぉぉぉぉぉぉーっ!

この日は7時過ぎでいきなり挫折か…









「進むべきか退くべきか、それが問題だ」



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